まくら

読んだ本や好きな文章の感想

『マチネとソワレ』13巻読んでから谷崎潤一郎「春琴抄」読んだ

マチネとソワレの話は以前もした(下記リンク参照)が、13巻であった「春琴抄」の回が好きだったのでまた書く。

 

 

 

谷崎潤一郎春琴抄」は青空文庫でも読めます。私は青空文庫ビューアのアプリで毎日空き時間にちょっとずつ読みました。短めなので結構すぐ読めます。

→ 谷崎潤一郎 春琴抄

 

 

 

 

私はマチソワ読むまで春琴抄はタイトルしか聞いたことなかったんですが、マチソワの作中劇が面白かったので小説の方も読んでみた。

谷崎潤一郎の作品、私はそこまで好きではないんですが(文体や内容がどうのというより女の趣味がまったくもって合わない)、これは結構好きな部類。これまで読んだ中では『卍』と同じくらい好き。……というか初めて読んだ谷崎作品『痴人の愛』のナオミが嫌いすぎて、それで今まで谷崎のこと食わず嫌いしてたのかもと思った。

 

 

まず春琴抄についてざっと説明すると、盲目でわがままな美女・春琴と、春琴に奉公人として仕える佐助が主な登場人物です。この二人は三味線の師匠と弟子でもあるんですが、この主従関係の上に(いくらかいびつな)愛を築いていく……という話ですね。

春琴の方が佐助より年下なんですけど、驕慢で美しい年下の女にときおり暴力すら振るわれながらもその女を崇拝する、という谷崎の嗜好がよく表れている作品だなと思った。

 

 

次にマチソワの話をすると(以下ネタバレ注意)、

13巻で三ツ谷御幸(みつやみゆき)とそのマネージャー・迫中(さこなか)との出会いが語られるんですね。

演劇部だった迫中は、文化祭で森屋さんという先輩とともに春琴抄を演じる予定だった。それがいろいろあって、当時すでに売れっ子の役者だった御幸が春琴役をやることになる。

 

まず春琴役の御幸が美しい…………んッすわ……………………

 

↑13巻の表紙に入ってるポニテの女のほうが御幸(男)ね。

この春琴のビジュすげー好み。

 

春琴の容姿については、原作を読むと身の丈が五尺(=約150cm)に充たず顔や手足の道具が非常に小作りで繊細を極めていた」「輪郭の整った瓜実顔に、一つ一つ可愛い指で摘まみ上げたような小柄な今にも消えてなくなりそうな柔かな目鼻がついていると書いてある。マチソワでは春琴は結構ハッキリした美人で、あと春琴の方が佐助より背が高くなっており原作とは違う。でもこれは男の御幸が春琴役をやっているのでしゃーない。私はマチソワの春琴が好きです。

 

あと小説の語りを演劇に落とし込んだ際の演出の工夫も好きだった。

具体的には、春琴が佐助の着物の懐で足を温めてもらってるとき、それを見た通行人に「春琴はん、厠から出て手ぇ洗ったことないらしいで」「何から何まであの奉公人にやらせてるて話や」「子までなした間柄やとか……」とかって二人の関係性をヒソヒソ語らせるところ。無理なく二人の関係性を読み手(観客)に伝える演出になっていてなるほどなぁと思った。

 

 

 

そんでマチソワと小説の大きな違いは、やっぱりラストですね。違いというか、小説にはあったものがマチソワではなくなっており、シンプルなつくりになっていた。

まあちょっとした作中劇だしそこまで描くと複雑になりすぎるというのもあったんでしょうが、私はマチソワでは描かれなかった小説終盤が春琴抄の「肝」だと思ったので、マチソワ読んで春琴抄おもしろそうだなぁと思った人は小説も読んでみてほしい。

 

 

後半、春琴は恨みをもった男に熱湯をかけられて顔にやけどを負ってしまうんですが、佐助は春琴のその顔を金輪際見ないようにするため、針で自分の目をついて失明する。

 

マチソワでは、自分のために佐助が失明したことを知った春琴は、佐助を抱きしめて「嬉しい。」と言って泣くんですね。それまでのわがまま暴虐ぶりが嘘だったような素直な表情で。春琴と同じ世界に到達した佐助も泣きながら春琴を抱きしめ、二人がようやく素直に通じ合った……というところで劇は終わる。

 

 

一方の春琴抄。佐助が盲目になり師弟抱き合って泣いたのはマチソワも同じですが、そのあとですね。

佐助はなぜ正式に彼女と結婚しなかったのか春琴の自尊心が今もそれをこばんだのであろうかてる女が佐助自身の口から聞いた話に春琴の方は大分気が折れて来たのであったが佐助はそう云う春琴を見るのが悲しかった、あわれな女気の毒な女としての春琴を考えることが出来なかったと云う畢竟ひっきょうめしいの佐助は現実に眼を閉じ永劫えいごう不変の観念境へ飛躍ひやくしたのである

「ここ」ですよね……。

以前妊娠をきっかけに佐助との結婚を勧められた春琴は「自分は一生夫を持つ気はないことに佐助などとは思いも寄らぬとはなはだしい不機嫌であった」、さらに「春琴は佐助と夫婦らしく見られるのをいとうことはなはだしく主従の礼儀れいぎ師弟の差別を厳格にして言葉づかいの端々はしばしに至るまでやかましく云い方を規定したまたまそれにもとることがあれば平身低頭してあやまっても容易にゆるさず執拗しつようにその無礼を責めた」。

このようにまで振る舞った春琴が「佐助と結婚してもいい」と思うようになったとしても、それを拒んだのは佐助の方だった。「めしいの佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである」。

 

彼はどこまでも過去の驕慢きょうまんな春琴を考えるそうでなければ今も彼が見ているところの美貌びぼうの春琴が破壊はかいされるされば結婚を欲しなかった理由は春琴よりも佐助の方にあったと思われる。佐助は現実の春琴をもって観念の春琴をび起す媒介ばいかいとしたのであるから対等の関係になることをけて主従の礼儀を守ったのみならず前よりも一層おのれを卑下ひげし奉公の誠をつくして少しでも早く春琴が不幸を忘れ去り昔の自信を取りもどすように努め、今も昔のごとく薄給はっきゅうあまんじ下男同様の粗衣そい粗食を受け収入の全額を挙げて春琴の用に供した

二人は対等にはなれなかった。春琴が自分のところに降りてくるのを佐助が拒んだ。果たして春琴はそれを喜んだだろうか?

私は喜ばなかったと思うな……。春琴は佐助に顔を見られたくないと言ったが、それは当然として、自分が傷ついたという事実を佐助に受け入れてもらったうえで、隣に寄り添ってほしかったんじゃなかろうか。しかし佐助は目を閉じた。「現実の春琴をもって観念の春琴をび起す媒介ばいかいとした」、傷ついた春琴を見ようとはしなかった。春琴は寂しかったと思うな。これは文章読解ではなく、人間心理への想像です。

 

それまでずっと佐助が春琴にかしずき思慕するばかりに見えた構図が、ここにきて逆転するんですよね。佐助が下位、春琴が上位という見た目上の関係は変わらないが、精神面ではひっくり返っている……。私はこの「逆転」が春琴抄という作品の妙だと思ったので、漫画→小説という順で読んだけど結果として一粒で二度美味しかった(?)

 

 

ところで春琴抄ではこの描写も好きだった。

程経て春琴が起き出でた頃手さぐりしながらおくの間に行きお師匠様私はめしいになりました。もう一生涯いっしょうがいお顔を見ることはござりませぬと彼女の前にぬかずいて云った。佐助、それはほんとうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思ちんししていた佐助はこの世に生れてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった

佐助はこの世に生れてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった」! この状況を想像するとゾクゾクしますね、額ずきながら喜びに震えている佐助、座敷におりた深い沈黙……。エロティシズムが抑圧されながら膨らんでいくような緊張感!  エロティシズムの使い方合ってるかわからないけどほかの言葉が思いつかない。

 

 

ところで、マチネとソワレ読んでるとこれが異世界ものの話だということを完全に忘れてしまいますね。ちょいちょい元の世界の話が出てきて「あっそういえばここ異世界だったんだ…」って思い出すけどシンプルにすべての演劇の話が面白くてどうでもよくなる(すみません)

ファンタジー系の異世界ものはそこまで興味がないが、こういうパラレルワールド系の異世界ものはワクワクして好きなので、これからどう異世界設定が生かされ展開していくのか期待。