これまで読んできた村上春樹の短編集の中では一番好きだった。
長編は好きなのが多いんだけど、短篇はこれまであんまり好きなのに出会えていなかった。『レキシントンの幽霊』とか『回転木馬のデッド・ヒート』、『パン屋再襲撃』とかいろいろ読んだ気がするが、どれも印象が薄くてあまり覚えていない。でもこの本に載ってる短篇はどれも割と好きだった。
なんだか全体的に「日本的な要素」が目立っていて、珍しいなと思った。具体的には、関西弁、日本文学、日本の野球チームなど。意図的か? でも相変わらず日本文学的な雰囲気はほぼない。
以下、ストーリー展開への言及があるので未読の方は注意。
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石のまくらに
登場人物が詠んだ短歌が出てきた。村上春樹作品で短歌が出てきたのは初めて見た。日本的な要素その1。
石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
流される血の/音のなさ、なさ
「石のまくら」は漱石枕流(意味はこれを読んでください→近代科学資料館「漱石枕流」)からで、
硬いものに耳を当てて血流の音が聞こえる(ここでは聞こえてないけど)っていうのはジャン=コクトーの有名な詩、「耳」の “私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ”(堀口大學訳)からだろうか? これ以上のことはちょっとよくわからない。
この話で好きだったのは、「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」と言った女と主人公との会話のなかの一節。
「その人のことが好きなの?」(…)
「そう。とても」と彼女は言った。「すごく、すごく好きなの。いつも頭から離れない。でも彼は私のことがそれほど好きなわけじゃない。ていうか、ほかにちゃんとした恋人もいるし」
「でもつきあっているの?」
「うん。彼はね、私の身体がほしくなると、私を呼ぶの」と彼女は言った。「電話をかけて出前をとるみたいに」
どう言えばいいのかわからなかったので、僕は黙っていた。
この「電話をかけて出前をとるみたいに」って比喩が好きだった。こういうさりげない比喩の的確さがたまらないんだよな、村上春樹は。
この話はまあ短歌がキーになってるんだろうけど、短歌がどれも私には刺さらず、特に印象がない。
午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ
名もなき斧が/たそがれを斬首
春日井健の歌「大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき」をちょっと思い出したが、全然関係ないかも。
ざっくりしたまとめかたをしてしまえば、これは「言葉が人間から離れて生き延びるということ」を書いた話なのかな。
クリーム
この話結構好きだな。こういう理不尽で、不可解な、オチのない(ように見える)作品好きなんですよ。
舞台が「神戸の山の上」って明確に関西なの珍しくない? 『ノルウェイの森』でも京都が出てきていたはずだが、全然「関西感」がなく、「そう言われてみれば京都…だったかなぁ…」という程度の印象だった。でもこの話では村上春樹作品に珍しく(私が読んできた中では初出かな?)関西弁の人が出てきていて、関西が舞台だということがわかりやすかった。日本的な要素その2。
「中心がいくつもあってな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」と老人は額のしわを深めて言った。「そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」
「ええか、きみは自分ひとりだけの力で想像せなならん。しっかりと智恵をしぼって思い浮かべるのや。中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円を。そういう血のにじむような真剣な努力があり、そこで初めてそれがどういうもんかだんだんに見えてくるのや」
村上春樹の書く関西弁を初めて読んで思ったんですけど、村上春樹の文体って関西弁との親和性がめちゃくちゃ低くないですか?
なかなかに違和感が強い。このなんか…話し言葉がもつ「流れ」とか「リズム」とか「淀み」といったものがそぎ落とされた村上春樹文体、おもしろいくらい関西弁と合わない。
例えば、ほかの小説家が書いた関西弁と比較してみる。
「なんせから順ちゃんの家の、便所のくみ取り口に、いちじくが植ってたん。もうこれは、絶対に確かやから。わたしが一つ盗ったの、お母ちゃんに告げ口したの。はっきり覚えとるよ、お母ちゃん、いまでこそ酒ばっかし飲んでああやけど、お父ちゃん生きとるときは、あれできびしいからな。耳のあたりぶたれて、わたしの右耳ほとんどきこえんもん」(中上健次「蛇淫」)
「そいでもあんた、そない悪いこと手(て)っ伝(と)たらいかん云うたやろ。そやよってうちどない頼まれても教せたげへんなんでん。そいで子供出来るまでは一と足も外い出たらいかん、じっとすっ込んでなはれ云われて、押し込めみたいにされてるのんで、退屈で退屈でしょうがないさかい、毎日でも遊びに来とくなはれ云やはるねんけど、どないしょう知らん?―――うちかてきっと恨まれてるか分れへんし、放っといたら寝覚め悪いしなあ」(谷崎潤一郎『卍』)
「子供の頃から、緊張したら言葉が出てこうへんようになんねん。すごく、ゆっくりしか話されへんねん。大丈夫な時もあんねんけど」
「そうなんだ、すごい落ち着いてるから緊張しそうに見えないのに」
「それをごまかすために、言葉が引っかからんように、ゆっくり話すねん」
「サキね、ゆっくり話してくれる人の方が、言葉の意味を考えられるから嬉しいよ」
「沙希ちゃんはアホなん?」
「アホじゃないよ、かしこいよ」
「俺もアホちゃうで、頭の中で言葉はぐるぐる渦巻いてんねん。捕まえられへんだけ」(又吉直樹『劇場』)
『卍』の関西弁は批判もあるみたいだけど、やっぱり関西弁には書き言葉とは違う、口語的なリズムがないと違和感があるなあと思う。
村上春樹の文章は、会話文も全部、きちんと構築され過ぎているんだよな。書き始めの時点でもう書き終わりまで確定している書き方というか。そういうところが「翻訳文」なんだよね。
それはさておき、「クリーム」には好きなセリフがいろいろあった。「この世の中、なにかしら価値のあることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもあるかい」「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わからんことをなんとかわかるようにするためにある」あたり。
老人の言葉も含めてかなり抽象的な話だったが、この不可解さが私は好きだ。こういう独特なわからなさは村上春樹の長編に特徴的なものだと感じていたが、今回の短編集はこういう長編的な抽象性をもつ短編が多くて好きだった。
ウィズ・ザ・ビートルズ
一九六八年に「思想の行き詰まり」が原因で自宅で首を吊って死んだ社会科の教師がまず印象に残ったな。
で、この話では芥川龍之介とその作品が直接的に言及される。具体的な日本近代文学への言及がある話も初めて読んだかも。日本的な要素その3。あと、この話でも関西弁の人が出てくるな。
言及されたのは芥川の「歯車」。作者が自殺する直前に書かれた話。主人公がガールフレンドの兄に頼まれ、この話の一部を朗読する。
〈僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?〉
好き嫌いはともかく、よく晴れた日曜日の朝に朗読するのに向いた作品ではないことは確かだ。
おそらく「歯車」は主人公のガールフレンドがのちのち自殺することに関連があるんだろうが、どんなふうに関わりがあるのか、はっきりしたことはよくわからない。ビートルズのくだりも、兄の病気の話も、どういう意味をもつのかよくわからない。
ガールフレンドの死に方はなんとなく『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を思い出したが、それにしても村上春樹の作品ではよく人が自殺するな? 原因のよくわからない自殺。よく人が死ぬし、よくセックスをする。なのにひたすらに淡泊なので、生臭さがない。
一人称単数
これは終わり方が独特だったな。珍しくない? こういう、メタファー的世界の中で突き放すように終わるの。これまでの話では話の途中でメタファー世界に行っても、最後には戻ってきていたような気がする。
これはちょっと『海辺のカフカ』っぽい話だったかな。おそらく、もう一人の自分のような存在が自分の知らないところで大きな罪を犯している、というような話。
スーツ姿の自分を見て「一抹の後ろめたさを含んだ違和感」「自分の経歴を粉飾して生きている人が感じるであろう罪悪感」を感じたというから、きっとその罪は「スーツを着ている自分」が犯したものなんだろう。
「(…)よくよく考えてごらんなさい。三年前に、どこかの水辺であったことを。そこでご自分がどんなひどいことを、おぞましいことをなさったかを。恥を知りなさい」
「スーツの自分」はいったい何をしたんだろう。レイプかなと思ったが、「法律には抵触していないにせよ、倫理的課題を含んだ詐称」ともあったから、法には触れていないということでレイプではないのかも。でもそれに近いような凌辱的行為なのだろうなと想像する。
主人公が女の発言を評した言葉、「すべて具体的でありながら、同時にきわめて象徴的だった。部分部分は鮮明でありながら、同時に焦点を欠いていた」、これはまさに村上春樹の小説そのものに対して言えることですね。
この話も好きだったな~、海辺のカフカやねじまき鳥クロニクルを思い出すところもありつつ、終わり方がこれまでにない形でちょっと驚いた。あとこれが短編集の最後に配されていたのもよかったな。奇妙な読後感。
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最近はゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム…ではなくブレスオブザワイルドを買い、生活が破壊されている。オープンワールドってすげー! 空が美しくて感動した。
武器が壊れるの最初は嫌だな~と思ったが、だんだん慣れてきた。バクダン無限沸きに助けられてる。時間がすさまじい勢いで溶けていく……。
あともうすぐ十二国記が読み終わりそう。おもしろすぎて頭おかしくなる。十二国記、永遠に続いてほしい。