前々から名前は知っていて気になっていた。ようやく読めた。
海外文学って「有名で気になっているが読んだことがない本」が多い。モモとか長くつ下のピッピとか、実は読んだことがない。星の王子様は高校生のときに初めて読んだんだけど「これは小中学生のころに読むべきだったな……」と思った。
キャッチャー・イン・ザ・ライも中高生の時期に読むとよい本かもしれない。
全体的にオタク特有の誇張表現みたいなクソデカ比喩が多くて面白かった。
母親の方はブラッドハウンドなみに耳が鋭いんだ。だから両親の寝室の前を通り過ぎるときには、とことんこっそり歩いた。呼吸もしなかったくらいだよ、ほんとの話。父親の方は一度寝ちゃうと、椅子でぶん殴ったって起きやしない。でも母親は違う。たとえばシベリアのどっかで君がこそっと咳をするだけで、彼女はぱっと目を覚ましちゃうわけだ。もうまっしぐらに神経質なんだよ。
そこにはDBがフィラデルフィアでアル中の女の人から買い取った、気がふれたみたいにでかい机があった。やたら巨大なベッドもあった。なにしろ縦十マイル、横十マイルくらいあるんだよ。(……)フィービーがそのクレイジーな机に向かって宿題とかをやってる姿を、君にも見せてやりたいよ。
※10マイル=約16キロ
ホールデンがタクシーの中でアヒルの話をするシーンは、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の「アヒルのヒトたち」の話を思い出した。
「だからアヒルたちがさ、あの池でひらひら泳いでいるじゃない。春とか、そういう季節に。あのアヒルたちが冬になったらどこに行くのか、あんたひょっとして知らないかな?」
「何がどこに行くかって?」
「アヒルたち。ひょっとして知ってるんじゃないかと思ってさ。つまりさ、誰かがトラックみたいなのに乗ってやってきて、みんなを集めて連れて行っちゃうんだろうか。それともアヒルたちは自分たちで勝手にどこかに飛んでいくのかな。南に移動するとか、そういうことで」
ホーウィッツはくるっと後ろを向いて、僕をじっと見た。すごく激しやすいタイプなんだよ。まあ、悪いやつじゃないんだけどね。「なんでそんなことを俺が知ってなくちゃならないんだ?」と彼は言った。「なんでまた俺が、そんなしょうもないことをいちいち知ってなくちゃならないんだ?」(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)
「アヒルのヒトたちは池がぜんぶ凍ってしまうと、みんなでどこかに移っていってしまったの。ねじまき鳥さんもあのヒトたちのことを見たらきっと好きになったと思うんだけれどな。春になったらまたここにいらっしゃい。今度はアヒルのヒトたちに紹介してあげるから」(『ねじまき鳥クロニクル』第3部41)
村上春樹が影響を受けたのかどうかはわかりませんが、こういうつながりを見つけるのって楽しいですよね。
私が好きだったのはホールデンがミスタ・アントリーニにした「わき道」の話と、物語のラスト。
このコースのクラスでは、生徒が教室で一人ひとり立って、スピーチをしなくちゃならないんです。なんていうか、即興みたいな感じで。それで話がちょっとでもわき道にそれちゃうと、みんな先を争うように『わき道!』って怒鳴らなくちゃならないわけ。そういうのって僕には我慢できなかったんです。
僕が言いたいのはですね、なんていうか、いったん話を始めてみるまでは、自分にとって何がいちばん興味があるかなんて、わからないことが多いんだってことなんです。それほど興味のないものごとについて話しているうちに、ああそうか、ほんとはこれが話したかったんだって見えてきたりするわけです。(……)少なくとも誰かが何か面白そうなことをやっていて、それに夢中になりかけてるみたいだったら、しばらくそいつの好きにさせておいてやるのがいちばんじゃないのかな。そういう具合に夢中になりかけてるやつを見てるのって、なかなかいいものなんです。ほんとに。(……)口を開けば、単一化しろ、画一化しろ、そればかりなんだ。でもね、中にはそんなことができないものだってあるんですよ。つまりですね、誰かにそうしろと言われたからといって、はいそうですかって、ほいほいと単一化したり簡略化したりできないものもあるってことです。
これ読んで、ホールデンは本当になんというか繊細で純粋な感性を持っている人間なんだなって思った。「世間知らず」とかそういうけなす意味ではなく、本当に素敵な人だなと思った。こういう人間がこういう感性を保ったまま大人になれたらいいよね。
就職活動や転職活動をしている人間にはかなり堪える内容ではないですか?「わき道」「わき道」って怒鳴られながら口角引きつらせて話すより、好き勝手に脱線して「本当に話したいこと」に気づきながら話せる、そんな会話を友達としたいよ。筋道立てて話すのが苦手なんです、私は・・・・・・
ラストの、メリーゴーラウンドに乗る妹のフィービーを雨の中で眺めるシーンが作中で一番美しかったと思う。真夜中にベッドでフィービーと話しながらホールデンがいきなり泣いちゃうシーンも好きだけど。
それからもう正気じゃないみたいにどっと雨が降り出したんだ。それこそバケツを思い切りひっくり返したみたいにさ。いや、文字通りの話だよ。子どもたちの親だとか、そこにいた誰もかもが、ずぶ濡れにならないために回転木馬の屋根の下に駆け込んだ。でも僕はけっこう長いあいだ、そのままベンチに座っていた。おかげでぐしょ濡れになっちまったよ。(……)でもかまやしない。フィービーがぐるぐる回り続けているのを見ているとさ、なんだかやみくもに幸福な気持ちになってきたんだよ。あやうく大声をあげて泣き出してしまうところだった。僕はもう掛け値なしにハッピーな気分だったんだよ。嘘いつわりなくね。
回転木馬に乗ってぐるぐる回る妹を見るだけで泣き出しそうなくらいハッピーな気持ちになる人間って、追いつめられて追いつめられて、ほとんどいろんなことが限界になってる人間なんじゃないかと思うんですよね。それでこのシーンは私は妙に悲しくなった。大雨の中回り続ける回転木馬とそれに乗る妹、温かくてハッピーだけど、それに幸福を見出す感性の背景にあるものがやるせない。
やはりこれは高校生のころに出会っておきたかった本だな~って思うけど人間の感性に子供も大人もないので何歳で読んでもよいです。(?)