白石一文は、大学生のときに『この世の全部を敵に回して』を買って、かなり序盤で読むのをやめた記憶があるのでほぼ初読。
正直、中盤ぐらいまでずっと主人公の言動が癪に触ってて、何度か読むのやめようかなと思った。返却期限も近づいていたし。
なんというか……主人公は複数の女と肉体関係を持っていて。それ自体は全っ然構わないんですよ。でも「複数の女と肉体関係を持つ、アウトサイダーな俺」という自意識が鼻につく感じがして……
「自分を慕ってくる女を雑に扱うのがカッコイイ」と思ってそうなところがキツかった。これを作者が「わざと」演出しているのか、それとも「ガチで」そう思っているのかが中盤ぐらいまでわからなかった。
あと夫人とのセックスシーンが官能小説(読んだことないが)ばりに細かく書かれていて、別にそこまで書かなくていいんじゃないの。と思った。
でも、主人公が雷太という友人と飲んでいるときの一節がすごく良かったから、最後まで読もうと思った。
雷太は焼き鳥屋で働いていたんだけど、その店が潰れ、寺内というテレビプロデューサーに芸能界入りを勧められていた(雷太はめちゃくちゃ美形)。雷太はその寺内に「あんな店潰れて良かった」と言われて激怒していた。
「(…)あの店は、大将と奥さんが必死に守ってきた店なんすよ。直人さんには話したと思うけど、大将は十八年前に、まだ四歳だったひとり息子を小児癌で亡くして、それからはずうっとノイローゼ気味の奥さんの面倒を見ながら、店も畳まずになんとか頑張り続けてきたんです。俺のことも、死んだ息子の代わりだって可愛がってくれて、グレてた俺を一から仕込んでくれたんです。それをあのオカマ野郎は、事情ひとつろくに知りもしないで無礼なことを言いやがって。だいたい、寺内さんだって直人さんにしたって結局はエリートじゃないすか。一流の大学出て一流の会社に入って高い給料とって。そんな人たちには、毎日毎日、何百本の串に肉刺しながら、一本百円の商売やって生き抜いてきた人間の苦労なんて絶対分かりっこないんですよ」
この雷太の台詞を耳にしたとき、僕は、昔かあちゃんが同じようなことを言っていたのを思い出した。大学に合格して上京するとき、わずかな金を渡してくれながら、
「これで、あんたには私のことが永久に理解できなくなるんだね」
とかあちゃんは言ったのだ。
「これで、あんたには私のことが永久に理解できなくなるんだね」。手に入れた者と手に入れなかった者の深い断絶。この一文で、なんか、あるはずのない「郷愁」みたいなものがこみ上げた。色彩のない田舎町とネオン光る東京との隔絶も感じた。
こう書いてくれてやっと「あ、作者は”あえて”書いてるんだな」ってのがわかった。
あとは、主人公が見た夢。主人公は夢の中で保育園の園長になっていて、関係を持つ女性の一人である朋美が息子の預け先である保育園に挨拶に来ていた。
朋美はシングルマザーで、仕事の関係で朝七時から夜六時まで息子を預かってほしいと主張していたが、園の規則では四時半に迎えに来てもらうことになっていた。それでもめている場面。
「とにかく生活が大変なんです。四時までの勤めではとても保険の成績が上がらないんです。この町には身寄りもありませんから、夕方からこの子を預かってくれるような知人もおりません。いま月十万の給料に、保護費を足して十五万そこそこで暮らしているんです。それがどんなに大変か、あなたたち公務員の方にはわかりっこない。アパート代だって五万も六万もかかるし、食費だって、衣類だって決して馬鹿にならないんです。両親揃って働きに出ている家庭とはうちはわけが違うんです」
(…)
僕は呆然と彼女の話を聞いていたが、いかにもこの都会で月十五万そこそこの収入で母子二人が暮らすのが辛い状況かはよく理解できたので、同情の念にかられた。終いには、目の前のちょっと魅力的な女ざかりの母親の取り乱しようにすっかり圧倒されてしまったのだった。
そこで僕は、朋美の熱弁が一段落すると、ダブルの背広の内ポケットから財布を取りだし、中からあるだけの一万円札を抜き出し、それを二つ折りにして朋美の眼前に差し出した。
「じゃあ今月はこれを足しにしてみて下さい。そのかわり、ちゃんと四時半にお迎えに来るんですよ。そうすれば、また来月もお金は渡しますから」
言い終る前から、朋美の顔の血の気がすうっと引いていくのがわかった。彼女の顔面は歪み、唇を嚙み締めたものすごい形相になった。考えてみれば妙なことだが、こんな朋美の顔を見るのは初めてだなどと僕は夢の中で思った。
朋美の憤怒の表情がストップ・モーションのように僕の視界いっぱいに広がり、その刹那、僕の手の中のたたんだ紙幣は彼女の右手で叩き落され、強烈な平手打ちが僕の頬を襲った。どうしてこんなひどい目に遭うのか訳が分からぬまま、痺れるような頬の痛みに耐えかね呻き声を洩らした。
その場面で僕は本当に叫び声を上げ、床からはね起きたのだった。
強調引用者。主人公と他人との間にある厚い壁がよくわかる描写だと思う。「ダブルの背広」「あるだけの一万円札」というちょっとした描写から主人公の地位がわかるのも巧み。
主人公の「訳が分からぬ」という台詞が恐い。序盤、主人公と枝里子の会話でも相手の神経を逆なでするような主人公の発言にイラついていたが、主人公は相手の感情を思いやるということがないのだな。そういう、他人との間に透明な厚い壁があるエリート男性を描いた小説なのかな、これは。
主人公の考えがよくわからない。この小説は主人公の思想や哲学がモノローグの形で長々と挿入されることが多いが、何を言っているのかよくわからない。
感覚的におそらく、主人公の哲学は作者の哲学とニアリーイコールなんだろうけど、私はこの作者とは生き方、ものの考え方がだいぶ異なるなと思った。『この世の全部を敵に回して』も同じ理由で挫折したんだと思う。
これは、主人公が朋美の元夫(パク)に会いに行っている場面。
「(…)僕が言いたいのは、きみがどう思っているかということではなくて、きみが、朋美のきみに対する気持ちについて想像したことがあるかどうかということです」
「そんな失礼なことはしませんよ、僕は」
僕は答えた。パクは予想通りといった合点顔で頷いて、
「それを、愛していないというんだな、一般的には」
と、念を押すような言い方をした。
「きみは、本当のところ何も受け入れてはいないんじゃないかな。自分のことしか考えられないくせに、朋美や拓也(引用者注:朋美の息子)にちょっかいを出しているだけで、結局、決して損をしない取引を愉しんでいるつもりでいるんだ」
僕はこのパクの台詞に、ごくわずかだが心の表層に汚物を擦られたような鋭い怒りを感じた。自分のことしか考えられないのはこの僕ではなくパクの方だった。僕は、誰に対しても不確実で浅はかな感情を押しつけぬよう配慮してきたし、また、誰からもそういった錯覚と油断を誘う感情の押しつけを受けぬように注意してきた。しかし、そうした僕の態度を保つために何よりも守り通してきたのは、たとえどんな時どんな状況でも、自分の利害を優先しない、人間相手に取引はしない、という鉄則だった。
「自分の気持ちを分かってほしいなんて甘いことを願っている限りは、誰のことも本気では愛せないと僕なんか思いますけどね」
「人の気持ちについて想像する」ことが「失礼」。考えたこともなかった。
「僕は、誰に対しても不確実で浅はかな感情を押しつけぬよう配慮してきたし、また、誰からもそういった錯覚と油断を誘う感情の押しつけを受けぬように注意してきた」ここも何度読んでもよくわからない。「感情の押しつけ」とは何か? 誰かを好きになる、といったこと? 主人公についての「愛」も作中で何度か語られていたけど、読もうとしても目が滑る。何を言っているのかよくわからない。
十数年経ったころに読めばわかるかもしれない。もしくは、中学生ぐらいのころに読んでいれば逆にわかったかもしれない。
なんていうか、いろんな小説を読んできて、苦手な小説の種類がちょっとわかってきた。主人公が世間とずれた振る舞いをして、それを周囲からなじられることも度々あるんだけど、主人公の中には確固とした哲学があるから振る舞いは変えない。「なじられている」場面を描写することで「世間からずれている」ことを作者は自覚していますよ、というアピールをしつつ、でもそうした自分の「弱さ」を小説という形でさらけ出すことで世間からわかってもらおうとしている小説。そういうのが苦手かもということがわかってきた。
例えば、太宰治、千葉雅也『オーバーヒート』、西加奈子『i』(これはちょっと違うかも)、そして白石一文。
なんで苦手なのかはまだわからないけど、”同族嫌悪”かもしれない。
あと、多分私はもっぱら「主人公(書き手)と同化するスタイル」で小説を読んでいるので、主人公が露悪的だったり主人公の哲学をまったく理解できなかったりするときは入り込めない。ということもわかった。
白石一文さんの言っていることに同調できる人にはおすすめの本だと思う。太宰治が好きな人にも合うかもしれない。