マジで何だったんでしょうね、『NO.6』って。
リアタイ勢だったころは毎巻毎巻脳を焼かれて、読み終わってしまうと絶望し、新刊が出るのを生きがいに学校へ通っていた。
今回しばらくぶりに読み返したんですけど、ウン年経っても色褪せず面白い。本当にありがとう、あさのあつこ。
『NO.6』はヤングアダルト向けレーベルのYA!ENTERTAINMENTから刊行された作品。YAっていうのはヤングアダルトの略で、だいたい小学校高学年〜高校生あたりを指す。それまで青い鳥文庫の『名探偵夢水清志郎事件ノート』『テレパシー少女「蘭」事件ノート』『黒魔女さんが通る!!』などを読んでいたキッズだった私には、『NO.6』は非常に刺激が強くて新鮮だった。
「え、児童書でこんなの読ませてもらっていいんですか?」って思った。
私はYA!のほうで読んだんですけど、表紙のイラストも独特で魅力的だし文庫版にはない写真が本文中に挿入されてたりするので、もし今から入手できるならそっちで読むのをオススメしたい。
- あらすじ
- ネズミがかっこよすぎる
- 対となるネズミと紫苑、その関係性
- NO.6を「ヤングアダルト文学」として書いた意義
- 同時期に出たあさのあつこの一般書『福音の少年』との比較
- (おまけ)ファイアーエムブレム風花雪月に出てくる「ユーリス」という男がネズミすぎる
あらすじ
2013年、地上は荒廃し、人類が生きていける場所は地球上に6箇所しか残っていなかった(なおNO.6 #1の刊行は2003年)。そのうちの一つに作られた未来都市NO.6は清潔で快適で安全である代わりに、市民をレベルによって厳密に区分けする管理社会、格差社会になっていた。また、NO.6は壁でおおわれており、その外側にある「西ブロック」と呼ばれる地区は、NO.6に入れない人々が住む場所としてスラム化していた。そこには貧困や暴力や死が蔓延する。
最高クラスの知能を持つと認定され、エリートとしてNO.6の中で生きていた12歳の少年・紫苑(しおん)と、NO.6の外からやってきた少年・ネズミが出会うところでこの物語は始まる。
その後、騒動に巻き込まれ、16歳になった紫苑はNO.6から西ブロックへと出る。そしてネズミと紫苑の二人の少年は、NO.6に立ち向かう。
これ以降、本編のネタバレが少々含まれます。未読の方は注意。
ネズミがかっこよすぎる
NO.6が人気だった理由って、なんだかんだ言ってもやっぱりここだと思うんですよね。アニメは見てないのでわからないんですけど、少なくとも原作では。
(原作原理主義者なので、アニメの髪が長いネズミをまだ受け入れられていない。ネズミと紫苑が再会した場面で「長かった髪は、耳が隠れる程度の短さになり」(#1)とある)
ネズミはですね、かなりの美貌で、特殊能力と言えるくらい美しく幻惑的に歌を歌うことができて、口が悪く皮肉屋で、ナイフの扱いに非常に長けている。
これは12歳、ネズミと紫苑が初めて出会った場面の一節。
嵐の夜、ネズミはびしょ濡れで銃による大怪我をした状態で紫苑の前に現れ、紫苑は自室にネズミをかくまった。そのせいで紫苑はエリートとしての特権階級を剥奪され、NO.6の中で最もレベルの低い地区「ロストタウン」に移されることになる。
ぼくは、ネズミめがけて飛びかかった。しかし、枕の上に倒れこんだだけだった。ネズミは、信じられないようなすばやさで飛びおき、ぼくの脇に差しこんだ手を回転させた。身体が、あっけなく半回転する。あおむけになったぼくの上にまたがると、片手一本でぼくの両腕を押さえこんだ。両足で腰をはさみ、しめつけてくる。一瞬、足の指先まで軽い痺れが走った。鮮やかだった。あっという間に、ぼくは、身体の自由をうばわれて抵抗できないまま自分のベッドに押しつけられている。ネズミは、空いているほうの手で、シチューのスプーンをくるりと回した。柄をぼくの喉にあて、すっと横にひく。
「これがナイフなら」
屈みこみ、ぼくの耳元にささやく。
「あんた即死だぜ」
(#1 びしょぬれネズミ)
こんなんもう全員好きやんか。少なくとも女児は全員堕ちるだろ。こういうのが一番好きな年ごろやんか。
あさのあつこ作品って、少年同士の絡みが妙に性的なんだよね。絶対わざと、というかあさのあつこのヘキなんだと思うけど。本当にありがとうございます。
幼少期、あさのあつこの本を結構読み漁ったけど、あさのあつこって基本的に中性的な人が好きで(出てくる少女の多くがショートヘア)、またジェンダー規範がかなり排除されていて、男らしさとか女らしさとか押し付けない。その結果(?)、同性同士の性を匂わせるような絡みも多い。キスぐらいなら普通にする。
ネズミが出てくるシーンって全部かっこいいのでどこ引用したらいいのかわからないんですけど、せっかくなのでもう1場面引用しておく。
紫苑が西ブロックへと出たあとの話。ネズミが「イヌカシ」と呼ばれる若い人物(10歳前後~10代前半?)に仕事を依頼する場面。
「座れ」
イヌカシは、力なく呟いた。
「ひとまず、話だけは聞く」
手袋をはめたネズミの手が伸びて、イヌカシの頬をなでた。
「いい子だ」
「ふざけんな」
薄く笑ったままの顔を睨みつける。
「ネズミ、言っとくがな、こんなやり方、いつも通用するなと思うなよ」
「こんなやり方? おれは、おまえに仕事を依頼したいだけだ。客に対して、すこし失礼じゃないか、イヌカシ」
「他人の弱みにつけこんで、脅しをかけ、強引に危険な仕事を押しつける。それが、まっとうな客のやることか。おまえに比べたら、犬にたかっている蚤のほうがよっぽど良心的だ」
「つけこまれるような弱みを持っているほうが、悪いんじゃないのか? ここでは、他人に弱みを知られることは命取りになる。百も承知だろう」
(#3 美しいものたちは……)
口も立つんですよね、ネズミは。美貌と声を生かして舞台に立って金を稼いでるんですけど、演技が上手く、さまざまな声音を使い分けることができる。
もうなんか、「理想」………なんですよね、ネズミって……………永遠の……………………
多感な時期にNO.6を読むと本当に性癖が破壊される。
対となるネズミと紫苑、その関係性
ネズミはスラムでしたたかに生きてきた人物、紫苑は危険を知らない温室育ちとして対比的に描かれる。光と闇みたいな対照的な人物像、と序盤は単純な構造に見えたんですけど、それが徐々に変容していくんですよね~……
ネズミ単体のかっこよさだけじゃなくて、ネズミと紫苑の関係性も『NO.6』の最大の魅力の一つ。
もうなんか、『NO.6』のことが好きすぎて、うまい紹介の仕方とかわかんねえから、とりあえず好きなシーンを引用していく。
「それで?」
ネズミが膝をついて、紫苑の顔を覗き込む。最上質の布のように光沢のある瞳は、もう穏やかに凪いでいた。
「何を知りたいって?」
「きみのことを……きみのことを知りたい」
ネズミの口がぱくりと開いた。瞬きを繰り返す。
「紫苑、あんた、変な本でも読んだのか?」
(略)
ネズミは立ち上がり、紫苑を見下ろした。指先と同じ、ひやりと冷たい視線だった。
「あんたの欲しいのは情報なんだよ。生年月日、生育歴、身長、体重、知能指数、DNA。数字に置き換えられる情報が欲しいだけだ。あんたは、そこからしか人間を知ろうとしない。だから、目の前にいる生きた人間がわからないんだ」
紫苑も立ち上がる。さらに強く指を握り締める。
「きみは、皮肉屋で他人をからかうのが好きで、魚料理が苦手で、寝相が悪い」
「は?」
「膨大で雑多な知識をもっているけれど、体系だってはいない。気まぐれで神経質かと思えば、ずぼらでいいかげんだ。熱々のスープが大好きで、塩加減をまちがえたらすごく機嫌が悪くなる。昨夜は、寝ぼけて、ベッドの中でぼくを三度蹴っ飛ばした」
「紫苑、ちょっと待てったら」
「ここに来て、それだけのことを知った。数字じゃない。ぼくは、きみを数字になんか置き換えない。そんなことをしたいんじゃないんだ」
(#2 生と死と)
ここの紫苑のセリフ、本当に好きなんですよね。数字に置き換えられる情報が欲しいんじゃない。数字に置き換えられないような、きみのことを知りたいんだ。
これって、愛じゃないですか。BLとかそういうことを言いたいんじゃなくて、純粋な人間愛だと思うんですよ。
そしてこのセリフで、人間のすべてを数値に置き換えてデータ化し、管理しているNO.6とは異なる存在なんだと紫苑は主張しているわけですね。自分はNO.6ではないと。
紫苑の友達、そして紫苑のことを好いている少女・沙布(さふ)とのやりとりでも似た主旨の発言がある。
「沙布、何考えてる? 人間がDNAに書かれた塩基配列だけで成り立っているとでも思ってるのか。ぼくのDNAの塩基配列を読んで遺伝子の情報を知って、それで、ぼくの何がわかるんだ。子どもをつくるなんて簡単に」
「あなたのことなら、よく知ってるわよ!」
沙布が、大声で遮る。側を行く人が振り返るほど、大きかった。
「二歳の時から、ずっといっしょだったのよ。あなたがどんな人で、何が好きで……そんなこと、よくわかってる。わかってて言ってるのよ……わかってないのは、そっちじゃない」
(#1 静かな始まり)
データからじゃなくて、生きた人間を知れというあさのあつこのメッセージを感じる。素敵なメッセージだ。私の中での愛の告白の一つってこれだ。
また、NO.6の高官に西ブロックの女を性的に斡旋する男・力河(りきが)と話している場面。
「(…)実はな、初めておまえの舞台を拝見したときから考えてた。おまえならいくらでも稼げるぜ。退屈したお偉いさんに、がっぽり貢がせることなんか簡単だろう。どうだ、風が吹き込んでくるような芝居小屋で働くより、ずっと金になる」
「おれに客をとれって言ってるのか? おっさん、アルコールで脳がやられ始めてんじゃないの」
「ふふん。なに格好つけてんだ。どこから流れてきたかわからんような役者なんて、どうせ、似たようなことしてきたんだろうが。今さら純情ぶったって」
「黙れ!」
怒鳴ったのは紫苑だった。コーヒーカップを中身ごと力河に投げつける。テーブルを飛び越えて、コーヒーのべったりついたシャツを掴み、全体重をかける。力河は、短く悲鳴をあげて床に倒れた。
「いいかげんにしろ! よくもそんな卑劣なこと、言えるな! 謝れ、謝れよ!」
(略)
「きみは、なぜ、怒らないんだ」
「怒る? あのくらいの戯言にいちいち腹を立ててたら、おれみたいなのは、年中怒り狂ってなきゃならない。慣れてんだ。別にどうってことないだろう」
「ばか!」
「ばかって……紫苑、なに興奮してんだよ」
「ばかだ。こいつの言ったことは戯言なんかじゃない。慣れてるなんて言うな。そんなこと……」
眼球が熱くなる。止めようと瞼を閉じるより先に涙がこぼれた。
「紫苑……泣くなよ。なんで泣くんだ。信じられない」
「きみを……侮辱した」
「え?」
「こいつは、きみを侮辱した。とても酷いことを言った……NO.6の汚いやつらと一緒にしたんだ。なのに、きみは平気だって言う。怒りもしない……だから、よけい悔しくて……悔しくて……どうしていいか、わからない……」
(#2 魔と聖)
それまで、優しく温厚で虫も殺せないような少年として描かれていた紫苑が、我を忘れて激高し他人に暴力を振るった場面。その理由は、「ネズミが侮辱されたから」。
「なのに、きみは平気だって言う。怒りもしない……だから、よけい悔しくて……悔しくて……どうしていいか、わからない……」なんて尊い言葉だ。こんな言葉なかなか言えない。若い、と思うけど、ただ若いだけじゃこんなセリフ吐けない。
あと、この引用部だけ見るとネズミは怒りを受け流せるような人物に見えるかもしれないけど、実際はネズミのほうがNO.6に対する怒り、復讐心をずっと深く抱えてる。だけど自分に対する侮辱は受け流せる。
一方紫苑は、NO.6を破壊するのではない第三の道を探そう、と発言したこともあるように、受容的、平和的な人物として描かれる場面もあった。でもこんなふうに人のために激しく怒れる、言い換えるなら友人を守るために他者に暴力を振るえる人物でもある。
破壊的と創造的とか、光と闇とか、単純化して説明できないのもこの二人の魅力の一つだ。
ちなみに、「怒りを我慢するな」っていうのは、あさのあつこを読んでいてしばしば出てくるメッセージだ。女子高生が主人公の作品『ガールズ・ブルーⅡ』にあった一節を引用する。
あたしは、大人の本当の怖さを知らないのだ。甘ったれている……でも、やっぱり怒るときには、怒りたい。怒らないまま我慢していたら、怒り方も怒ることも忘れてしまいそうで、諦めたり、黙りこむことばかり上手になりそうで、怖い。
(あさのあつこ『ガールズ・ブルーⅡ』第二章)
あと、あさのあつこによくあると言えば、弱い者として守られることを激しく拒絶する場面。
ネズミの頬を思いっきり叩く。さすがに、ネズミはよろめきもしなかったけれど、驚きはしたらしい。一つ息をついてから、叫んだ。
「何するんだ」
「罰だ」
「罰って……」
「ぼくに隠し事をしていた」(略)
「心配してやったんだ。それとも何か、おれにはあんたを心配する権利もないってわけか……あっ、これ、どっかで聞いたセリフだな」
「心配することと、隠し事をすることは、別問題だ。ぼくは、きみに保護されたいわけじゃない。きみに守ってもらって、ぬくぬくと生きていきたいわけじゃない。ぼくは……」
紫苑は、ネズミの頬の感触が残っている手のひらをそっと握ってみた。
「きみと対等でいたいんだ」
(#3 偽りの傍らで)
きみを残して行けだと。ぼくだけ逃げろだと。ふざけんな、ふざけんな。きみはそこまで、ぼくを侮るのか。軽んじるのか。きみを残して一人生き延びる途を選ぶほど、ぼくは弱くない。ぼくは守れるのだ。きみとぼく自身を守り通すくらい、できるんだ。
「ちくしょう、見縊るなよ」
(#8 夜の風の中で)
このメッセージ大好き。小さいころはあさのあつこの本をたくさん読んでたから、めちゃくちゃ影響受けた。それとも私もこういう思想を最初からもっていたから、あさのあつこの本に共感して好きになったのかもしれない。
まあ私の場合はちょっと違うのかもしれないけど、保育園児のころから「子ども扱いされること」がめちゃくちゃ嫌いで、大人なんて知識と経験がちょっと増えただけで子どもと思考力は変わらない存在だと思っていて(今もだいたいそう思っている)、なのに子供は弱く・純粋で・愛らしく・守るべき存在とされるのが虫唾が走るほど不愉快だった。はじめてのお使いは反吐が出るほど嫌いだった。大人たちばかりのスタジオで「子どもらしさ」を強要され、それに応えて愛らしいしぐさをする子役を見るのが嫌いだった。子どもにだって思考力はあり、哲学があり、性欲があり、そして大人と同じくらい邪悪である。
『NO.6』含めあさのあつこ文学のいいところは、主人公たちが中学生とか高校生でも、「大人とは異なる存在としての子ども」として描かないところ。作中で子ども扱いされることはあっても、例えばセリフを妙に幼くしたり、思考を不自然に「純粋無垢な」ものにしたりしない。ネズミと紫苑が出会うシーンだって、紫苑は12歳だけど、振る舞いに「大人が思う(幻想としての)子供らしさ」は見られない。
今はちょっと麻痺してきてるけど、子どものころはこういうのにすごく敏感で、「○歳ってこんなにガキじゃねえよ」「小学5年生でこんなしゃべり方するやついねえよ」ってイライラすることがよくあった。ぼくなつの主人公とか……。それに引き換えあさのあつこ作品はそういうイライラを感じることがなかったから好きだった。
男女で置き換えるとわかりやすいかもしれない。男性作家が描く女性を見て「こんな女いねーよ」って思うみたいな。もしくは、作中に登場する女性キャラがみんな「スイーツ好き・恋バナ好き」として描かれていて、「女ってこんなんばっかじゃねーよ」ってモヤモヤするみたいな。「人間」としてじゃなくて、「(男性である自分とは異なる)女性」、女という記号として描いているからそうなるんだよな。
『ガールズ・ブルーⅡ』にすごく印象的な言葉があったから、これも引用させていただく。
「守ってやる」とか「幸せにしてやる」とか一見、いや一聞、耳障りのいい小奇麗な言葉ほど美咲をいらつかせるものはない。
おれは強い。おまえは弱い。だから守ってやる。
ありふれた愛の言葉の裏側に相手を軽視する高慢が潜んでいる。
(あさのあつこ『ガールズ・ブルーⅡ』二章)
あさのあつこは、人と関わるときに「対等であること」を非常に重視しているように思う。そう考えてみると『NO.6』も、階級社会を破壊することで人と人との対等を実現しようとする物語とも言える。
(とはいえ『NO.6』では、紫苑の母親目線で語られるパートで、「幼く愛らしい守るべき対象」として小学校低学年くらいの少女も出てくる。子供が肉体的・立場的に弱く、大人から保護されるべき存在であることも確かなので、紫苑とネズミという、大人(権力)に立ち向かう若者だけじゃなくて、幼きものを守る大人も描く必要があったのかもしれない。ただ、その少女のセリフや振る舞いが幼きもののステレオタイプすぎてちょっとモヤつきはする……。あと、『NO.6』やあさのあつこ作品に限らず一般論として、守るべき幼い存在として登場するのっていっつも女の子だな、男の子ではなく。)
好きなシーンはまだまだあるけど最後に、『NO.6』では「言葉を軽々しく使うな」というメッセージが繰り返し発せられる、これも好きなので引用する。
仕事の最初にある儀式。管理システム機器のディスプレー上に現れたNO.6の市庁舎、俗に『月の雫』と呼ばれている建物の画に手をのせ、市への忠誠を誓うのだ。
『市への変わることのない忠誠を誓います』
『あなたの忠誠に感謝します。市民としての誇りと誠意をもって、一日の労働に従事してください』
それだけだった。それを毎朝、繰り返してきた。苦痛ではあった。(略)
「忠誠を強要されて、息苦しかったろう」
「ああ……確かに」
「なのに、あんたは我慢してた。抗わず。心にもない誓いの言葉を毎朝唱えて、平気な顔をしていた。紫苑、言葉ってのはな、あんたみたいに軽々しく使っちゃいけないんだよ。押し付けられて平気でいては、だめなんだ。あんたは、それを知らない。だから、信用しない」
(#2 生と死と)
「ネズミ……ごめん。ぼくは」
「謝るな」
いつもより少し掠れた声が紫苑の言葉を遮った。
「あんたは、いつも謝る。ごめん、ごめん、ごめん。謝って何が解決するんだ。あんたの取り澄ました自尊心が勝手に満足するだけじゃないか」
「うん」
「言葉を免罪符にするな。もっと、尊べ」
(#5 白い闇の名は)
「言葉を重んじろ」、作家が言うからこそ説得力がある。初めて読んだあさのあつこの作品『テレパシー少女「蘭」事件ノート』シリーズでも、無口な少年が出てきて強く印象に残った。彼は「言葉を大事にするからこそ、寡黙になる」。小学生のころ読んで、こういう人間って素敵だな、なれたらいいなって思って、いまだになれていない。むしろ嘘みたいな言葉を毎日べらべら垂れ流して平気でいる。だからあさのあつこ作品に出てくる、真摯に言葉を紡ぐ少年少女たちが眩しい。
NO.6を「ヤングアダルト文学」として書いた意義
「児童書」、「子供向けの小説」って、あくまでも「平和な世界」しか描かれないのが基本だと思う。嘘とか、ちょっとしたいさかいとか、軽いケガなんかはあっても、「人を死に至らしめるまでの悪意」「虐殺」は描かれることがまずない。私は読んだ記憶が無い。
でもNO.6は違った。なんなら日本に住んでいる限り目にすることはまずないようなレベルの、暴力や残虐が描かれる。飢えと寒さで人が死ぬし、売春の場面もあるし、想像もできないような無慈悲な殺戮がある。
そして、徹底的な格差社会。これをヤングアダルトのレーベルで書いたことに大きな意義があると私は思うんだよね。(おそらく)現実世界よりも誇張された格差、差別を『NO.6』を通して目の当たりにして、初めて、「あっ、格差ってこういうことなんだ」って思った。「世界にはこんなに残酷なことがありえるんだ」って驚きながら、フィクションだってわかってるのにほとんど実感した。
「聞こえる」
「え?」
何がと問う間もなく、紫苑の耳にも届いた。階段を駆け下りてくる足音。分厚いドアが叩かれる。ノックの音は、ドアの真ん中あたりで、忙しく、しかしさほど強くもなく響いている。
子どもだ。
小さな子どもが、必死にドアを叩いている。紫苑は立ち上がってドアに向かった。
「待てよ」
ネズミが止めた。濡れた前髪の下で、灰色の目がドアを見据える。
「勝手に開けるな」
「なぜ?」
「危険だ。無防備のままドアを開けるな」
「子どもだ。しかも急いでいる。何かあったんだ」
「なんで、そう言い切れる。武装した兵士でもドアの下を叩ける」
(#2 生と死と)
強調引用者。最後のネズミのセリフ、初めて読んだとき衝撃だった。短いのに、ネズミが生きてきた世界と、紫苑が生きてきた平和な世界(≒私が暮らしてきた世界)の違いが浮き彫りになる。「武装した兵士でもドアの下を叩ける」、言われてみればそうなんだけど、思いつきもしなかった。このセリフは私には書けない。
「NO.6なんて退屈なところさ。堕落さえも許されない。物乞いも娼婦も存在しちゃあいけない場所だ。みんな倦んでいる。だから、ここに羽を伸ばしに来るんだ。ここに来て、はした金で体を売る女に喜んで、自分たちが特権階級であることを確認して、また喜ぶ。しばし楽しんで、退屈な場所に帰っていくわけだ。そういうやつらが、お得意さんになってくれる」
(#2 魔と聖)
強調引用者。これにも驚いた。こんなの児童書で書けますか?
知らない女とセックスできることが楽しくて、とかじゃなくて、「はした金で体を売る女に喜んで」。自分たちの給料に比べればずっとずっと安い金で女が自分の体を差し出すこと、その惨めさや哀れさを高みから味わい楽しむっていうのがものすごく悪趣味で、よくこんなの書けるなって思った。たしかに、買春の楽しみって、そういう「優越感」を買うことにもあるのかもしれないな。
「あんたの中途半端な慈悲心で何ができる。数人の子どもを一時、飢えから解放することはできるかもしれない。けど、それは、餓えたやつと餓えていないやつ、二種類の人間を新たに作り出すだけのことさ。紫苑、いいことを教えてやろう。一度でも腹を満たしたことのあるやつは、そんな経験のないやつより、ずっと飢えが辛いんだ。満腹の後の飢餓ほど、辛いものはない。ここに群がってる子どもたちはみんな、腹いっぱい食った経験など一度もない連中さ。満腹ってものを知らない。だから耐えられるんだよ。わかったか。ここで、あんたにできることなんて、何もないんだ」
(#3 果てなる地)
全員を助けられないのに、ずっと面倒を見ることもできないのに半端に救いの手を出そうとするな、っていうのはよく聞く言葉で、もはや陳腐な感じもするけど、私の印象に残ったのは後半の「一度でも腹を満たしたことのあるやつは、そんな経験のないやつより、ずっと飢えが辛い」っていう部分。これも、考えてみたこともなかった。確かに、そうなんだろうな。
『NO.6』では、というか面白い小説では、「考えてみればそうなんだろうけど、考えたこともなかった」ってことがたくさん書いてある。そういう記述に頭を殴られる。私は餓えたことがないけど、餓えるってそういうことなんだ、ってほんの少しわかったような気がした。「満腹を知らないから餓えに耐えられる」、この言葉はずっと私の頭の中に引っかかってる。
同時期に出たあさのあつこの一般書『福音の少年』との比較
『NO.6』を語るうえで欠かせないと思うのが『福音の少年』なんだけど、ググってみてもこの2作品の関わりに言及している人がほとんどいなくて何故?だった。

学生時代、夏が来るたび読み返していたので、ボロい。
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『福音の少年』は2005年に角川から刊行された単行本。
『NO.6』の#1は2003年に講談社から刊行され、シリーズ最終巻(今度続編出るけど)の『NO.6 beyond』は2012年に出ている。
『NO.6』連載初期に出た『福音の少年』だけど、話の構造が『NO.6』と酷似している。ほとんど同じと言っていい。
どっちの作品の構想が先にできていたのかはわからないけど、私は『NO.6』の原型が『福音の少年』なんじゃないかと思ってる。(どこかでそういう内容を読んだ気もしたけど、ググっても見つけられなかった)
具体的にどういうところが同じかというと、まず登場人物の設定がリンクしている。
なお、『福音の少年』は日本の地方都市が舞台で、季節は夏。ここは『NO.6』と違う(『NO.6』は冬の間の物語だった)。
●『福音の少年』の主要登場人物(ネタバレ大いにあり)
・永見明帆(ながみ あきほ):16歳。秀才。人殺しの素質、支配者になれる素質を持っていることが示唆される。(≒紫苑)
・柏木陽(かしわぎ よう):16歳。一見「フツー」の人間っぽいが、声が蠱惑的に美しい。自由になりたいという衝動を抱える。家族を燃やされている、虐殺のサバイバー。(≒ネズミ)
・北畠藍子(きたばたけ あいこ):16歳。ショートヘア。聡明な少女。永見のことが好きで永見と付き合っている。謎の男のもとへ出向いて殺される。(≒沙布)
・秋庭大吾(あきば だいご):元新聞記者、現エロい雑誌のフリー記者。藍子の死について調べる。(≒力河)
イヌカシに対応する人物こそ出てこないものの、主要登場人物は『NO.6』に出てくる人間たちと同様の役割・性質を与えられている。
話の展開としても、議員である権力者の男(≒NO.6市長)と殺人の実行犯(≒白衣の男)のもとへ行って殺された藍子の死の真相を、16歳の少年二人と新聞記者の男が追うというもので、『NO.6』とほぼ同じ。
まあ両方の本を一読すれば類似性にはすぐ気づくと思うので、ここでは相違点に注目していきたい。
大きな違いとして、永見と柏木、二人の少年の進んでいく方向が破滅的であることが挙げられる。
永見の父親と柏木が話している場面。
「何を言っているのか自分でも、よくわからんのだが……明帆にはきみが必要なんだろう。だから、もう少し、きみの重荷にならないのなら、もう少し傍にいてやってほしい」
(略)
必要? おじさん、違うと思いますよ。必要なのかもしれない。おれだって永見は必要だ。けれど、それはおじさんが期待しているものとは、違うんです。お互いちゃんと成長するためじゃなく、幸せになるためじゃなく、そんなこととはまるで無縁のことのために……おじさん、だから違うと思います。
(『福音の少年』)
強調引用者。紫苑とネズミが(おおむね)未来の創造に向かって動いていたのとは対照的に、永見と柏木は暗いほう暗いほうへと引き込まれていく。
あさのあつこは、『NO.6 #2』の単行本あとがきで次のように書いている。
紫苑を口先だけの理想論者にしたくないのと同様に、ネズミを憎しみだけのテロリストにしたくはありません。絶対にしたくないのです。(略)
そして、やはり最後に希望を語りたいのです。安易にへらへらと耳触りのいい萎えた言葉ではなく、自分を賭けた言葉でぼそぼそとでもいい、この手でつかんだ希望を語ってみたい。そういう物書きになりたいのです。
強調引用者。作者は、『福音の少年』のラストが破滅的なものだったから、物語の構造はそのままに、『NO.6』で希望を書こうとしたんだろう。『福音の少年』はだいぶ後味の悪い終わり方だったからね……
完成度としては『NO.6』のほうが上だと思うけど、私は『福音の少年』のどうしようもない暗さも好きなんですよね。とくに永見・柏木と同年代のころに読むと刺さると思う。
ほかの相違点として、『NO.6』はヒエラルキーの下層から権力に挑むという構造であるのに対して、『福音の少年』は「子ども対大人」の形になっていることが挙げられる。
「おまえら何のつもりだ。おれを殺すつもりだったのか。ふざけるな。ガキがこんなまねをして、冗談じゃすまないぞ」
座り込んでいた少年がふらりと起き上がる。二人とも長身だった。二人とも感情の読み取れない眼をしていた。まるで違う顔立ちなのによく似ている。何かを共有している、お互い抱え持っているものの似通い方かもしれない。生唾を飲み込んでいた。
「大人ならいいのかよ」
起き上がった少年がクラッシュデニムの前をはたいた。手に持っていた白いロープを忌み物のように放り棄てる。
「何だって?」
「大人なら、人を殺しても冗談ですむのかよ」
(『福音の少年』)
きみのことは、よくわかっている。何と陳腐な言葉だろう。大人は、いつも恥ずかしげもなく口にする。わかるわけがない。どんな関係であろうと、他者の内にあるものを見通すことなど不可能だ。
(『福音の少年』)
強調引用者。『福音の少年』は若者が抱える二面性がテーマの一つと思われるから、大人と子どもの対立という構造になったのは必然だろう。
一方『NO.6』では、主人公の二人は16歳の少年だけど「子どもであること」が強調されることはほとんどない。「子どもが」権力に挑むのではなくて、あくまで「人間」の闘争として描かれている。
『NO.6』が人気になった理由の一つにこれがあると思う。ヤングアダルトの年代になると、「ガキ扱い」されることに辟易してくる。だから自分たちと同年代の16歳の少年が、ガキ扱いされることなく、「“子どものわりに”すごい」みたいな余計な枕詞を付けられることなく、ただの人間として強大な権力に立ち向かう姿が気持ちよかったんだと思う。
あとは、沙布に対応する少女・藍子に二面性がある、というのも大きな違い。
『NO.6』における沙布は、ひたむきで聡明で紫苑にまっすぐ恋してる、言うなれば光の領域だけに属する少女だった。
でも『福音の少年』の藍子は、恋人である永見の前ではもっぱら明るい顔を見せながら、かなり暗い一面も抱えていた。
物語の核に関わってくるところなのであまり引用はしないけど、藍子と永見の印象的なシーンを挙げる。
「アキくん」
「うん?」
「アキくんが本気で……本気で好きになれる人、そんな人に出逢えたらいいね」
藍子の瞳が翳る。眼差しに憐憫の色が付く。明帆の脳裏に、群青の海が浮かんだ。群青、ラピス・ラズリ、深い憐れみの色……違うだろうか。
(略)
「ここの奥がね、とても熱くなるの。アキくんのことを考える度に、熱くなってちょっと苦しくなる。訳なんかなくて……よくわかんないのに、涙が出てきたりする。アキくん、知らんでしょ。そんなことなんも知らんでしょ。十六年も生きているのに、知らんのよね。そんな気持ち、一度も……」
手が離れ、荷物を掴む。
「かわいそう」
耳元で囁かれた。
(『福音の少年』)
これ、あさのあつこ作品では、「かわいそう」ってすごく重みがある言葉なんですよね。あさのあつこは誰かを「かわいそうがる」こと、「かわいそうがられる」ことをものすごく嫌悪していると思う。
それがよくわかる描写が他の本にあるので引用する。
体調を崩して入院した、美咲という小学6年生の少女のもとに、主人公と学級委員の友迫さんという人がお見舞いに行った。友迫さんは美咲を見て、「かわいそう」と言って泣いた。そして美咲と主人公が二人きりになった場面。
自分が、かわいそうな少女にされてしまったことに、美咲は蒼白になって怒っている。怒りながら、耐えていた。
「何よ、なんで、あたしが泣かれなくちゃいけないのよ。あんなふうに……」
美咲の目から涙がこぼれた。噛みしめた唇から、うめきが漏れた。
悔しい、悔しい、ちくしょう。
他人に対し、かわいそうと泣くことに、人はもう少し慎重でなければならないのだろう。助力できるなら、救えるのなら、最後まで支え続ける覚悟があるのなら、泣けばいい。友迫さんの涙は、無責任だった。(略)無責任な覚悟のない優しさは、ただの憐れみにすぎない。
(『ガールズ・ブルー』第二章)
これぐらい、他人に安易に憐れみをかけることを憎んでる。だから藍子の「かわいそう」は、かなり侮辱的な意味を持つだろう。付き合っていたのに自分を見ていなかった明帆に対する怒りと悲しみとが軽蔑になって表れれたのかもしれない。
『NO.6』で沙布の影が(重要な役割を担っていたにもかかわらず)どうにも薄いように感じられたのは、藍子がもつような人間臭さというか、人としての二面性がなかったからかと思う。
でもまあ、沙布に暗い面を与えるまですると紫苑とネズミを中心に据えた物語がぶれてしまっていただろうから、作品としてはあれでよかったと思う。私は藍子のほうが魅力的に感じるけど。
最後、細かいことだけど、柏木の美しい声が露骨に性的なものとして描写されていたのも『NO.6』と違うところ。
レンズ越しに柏木の視線が明帆の視線に絡まる。唇の端が微かに歪んだ。
「永見は何て呼んでるんだ。その他大勢、群衆、どーでもいいやつら、顔のない連中……そういうとこか」
声が艶を増す。本気で誘われているような気がした。自分の一番鋭敏な部分を優しく撫でられる。淫らなほどの艶だ。明帆は暫く黙り、呼吸を整えようとした。
(『福音の少年』)
強調引用者。ただ、こんなに柏木の声がエロいエロいって繰り返し書かれるのに、柏木がそういう声をもっていることへの意味づけとか、そもそも柏木のキャラクター性が薄かったと思う。それに対して『NO.6』では、ネズミの声の美しさにしっかり意味が与えられていて、それは柏木のキャラの薄さへの反省から来ているのかなあと思った(上から目線な書きぶりになって恐縮だが)
あと、永見と柏木は「似ている」としばしば描写されていて、確かに二人の違いがあいまいなところがあった。対してネズミと紫苑はこれでもかっていうくらいわかりやすく対照的に描かれていたから、ヤングアダルト向けの物語としてわかりやすく、キャッチーだったと思う。
(おまけ)ファイアーエムブレム風花雪月に出てくる「ユーリス」という男がネズミすぎる
ファイアーエムブレム風花雪月という神ゲーがありまして、生まれてからやってきたゲームの中で間違いなくダントツ好きなやつなんですが、それのDLC(ダウンロードコンテンツ)に出てくるユーリスって男が「ネズミがモデルじゃね…?」ってくらいネズミみを感じる。

・灰色
・本名がわからない
・地下で生活
・貧民街育ち?
・歌が上手い
・顔がいい
すべて公式設定。ネズミなんだよなぁ……


ネズミなんだよなぁ……
ファイアーエムブレム風花雪月には「支援会話」っていう神システムがあって、それは親密度を上げたキャラクター同士で発生する特殊イベントなんだけど、続編の「ファイアーエムブレム風花雪月 無双」で見られるユーリスとアッシュって男の会話がかなりネズミと紫苑だった。
気になる人は買ってその目で確かめてほしい。ただ、個人的には無双より無印のほうが断然面白い。マジで。買うならまずはそっちをやることを強くお勧めする。

ユーリス・アッシュといっしょに食事をしたときに発生した特殊会話。
正直上に挙げたやつだけならまあネズミと似てるのは偶然か…とも思えたけど、このアッシュのセリフはさすがに言い逃れできないだろ。テンション上がるね。国文学出身だから典拠を探すの好きなんです。
ということで、もうすぐ『NO.6』の続編が出ますね。
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妙に値段が高いのはなんでだ?ページ数が多いのか、装丁が凝っているのか…?
何はともあれ楽しみ。もう一度みんなで脳を焼こう。
ファイアーエムブレム風花雪月の記事も、書きたい。

