まくら

読んだ本や好きな文章の感想

木村紅美『夜の隅のアトリエ』と、北陸という土地

富山かな?と思ったら富山だった。

陰鬱陰鬱陰鬱な北陸の冬と雪がこれでもかと描写されていて、これだよこれ😄と思った。

 

 

 

 

初めて読む作家だったが、感情の乏しい淡々とした文体が好みだった。

この描写が特にすごくて痺れる〜!と思った箇所はなかったが、全体を貫いている乾いた筆致が読みやすくて、久々に一気読みした本だった。

 

東京で働いていた美容師の女性が、職と名前を捨てて雪深い土地に逃れる話。絶え間なく雪の降る、住民に「どん底」と言われるような街で、ラブホテルの店番をするようになる。そしてときどき絵のヌードモデルもつとめる。

 

 

 

 年末に東京から半日かけて辿り着いたその町は、猛吹雪に支配されていた。薄墨色の空から、意思を持っていそうな雪が、たえまなく、降る、というよりも渦を巻きながら、巨大なバケツを引っくり返されたみたいに襲いかかってくる。水気を多く含んだ青白いぼたん状の粒のあいだがみっしりと詰まっていて、何メートルか歩いただけで上からも横からも壁のようなものに閉じ込められ押しつぶされそうに感じる。

いいですねぇ………。この重苦しさ、これぞ「北陸文学」ですよ。私はこういう冬の描写を読みたかったんですよ。

私は北陸に住んでいたことがあるんですが、雪が多い日はこういう感じでした。駅につながる地下通路から出てきたところの景色。

 

 

でも、雪の中で一人歩くっていうのはいいもんですよ。太平洋側の都会に住む人にも一度経験してもらいたい。雪が降ってるときって、音が消えるんですよね。ときどき遠くを走る車がシャーベット状になった雪の中を進むジャアッっていう音だけが聞こえる。自分のほかに誰も歩いていない。雪深い土地で文学が育つのも納得の、内省的な時間になる。

 

 

 

 暗く湿った通路をくぐり、再び半地下へ出た。ギャラリーの引き戸に本日終了の札が吊るされている。石畳の中心に佇み見あげると、四角く区切られたみどりがかった黒っぽい空からわさわさと降る雪が、敵意を持ち自分ひとりを目がけて叩きつけてくるようで、土ではなく雪の底に埋葬されそうに感じた。

こんなふうに、何度も何度も何度も、烈しい雪の描写がなされる。作者は高岡のほうに取材に行ったとツイッターで言っていたが、よっぽど雪の強さが印象深かったんだろう。確かに、太平洋側に住むと、雪の少なさというか冬の間の晴れの日の多さに驚く。東京の冬は寒いばかりでつまらない。

 

 

 

 

これは確か富山で正月に撮った写真なんですが、ほんとうに冬の間は色がない。空がずっと一面の平面な白。

あと、街中の建物も色彩に乏しい。屋根も壁面も看板も、なんか彩度低めで地味なんですよね。歌舞伎町とは大違い。街の中心部でもさびれた印象を受ける。まあ金沢駅とか富山駅なんかは最近は開発が進んで華やかになってきましたけどね(金沢は昔から華やかか?)

 

 

 

 

富山駅から見た景色。彩度が低い。空は当たり前のように曇り。

 

 

 

 

本の話に戻ると、なんかときどき不思議な記述がありますね。論理がつながっていないというか。

 

例えば主人公が、路面電車の運賃支払いで小銭がなく困っていたときに、以前も乗り合わせたことのある(しかし話したことはない)男に助けてもらう場面。

「ふたりぶん。……後ろの方のも」

 予想外のことに狼狽し、どう言えばいいかわからなくなった。再び居合わせてからずっと、内心、ひそかに助けてもらえないかと期待していた。

ここはわかりやすく繋がっていない。「予想外のこと」なのに、ずっと内心「期待していた」。

でもこの脈絡のなさが、主人公の浮世離れした生き方・考え方をよく演出している。他人の保険証を盗んで、仕事をバックレて、知らない土地で他人の名前で生活するような生き方ですね。

 

 

 

またこれは、路面電車の運賃のために小銭を作れるかもしれない、と思って、主人公が連絡船に乗ったときの記述。

「また十分後に出発しますけど乗りますか」

 年上のほうの乗務員が少し照れているような笑顔で訊いてきた。

「お願いします」

 つぶやいて外へ出た。

 凍てついた空気に閉ざされたしんとしたなかに、倉庫がなんらんでいるだけだ。すっかりちぢこまって船へ引き返した。

「このまま帰ります」

 乗務員がだまったまま笑顔を向けてくる。元には戻れないし、戻りたくもない。くちびるがほころび、精一杯のほがらかな笑顔になった。媚を売ったように受け取られたかもしれないと思い居たたまれなくなりうつむいて、マフラーで口もとまでおおった。乗務員はさっきよりも眼を細め頷いて笑い返してきた。

元には戻れないし、戻りたくもない。」唐突な一文ですね。これは連絡船とかには関係なしに、東京に住んでいたあのころに、ってことだと思うんですが。主人公の意識がひとところに定まらず、こんなふうに突然別のところに飛ぶことがある。

そのあとの「ほがらかな笑顔」もよくわからない。媚を売ったわけではないらしい。今の状況に対する自嘲というか、なげやりな気持ちからくる笑顔かなとも思ったんですが、そうなると「精一杯」って言葉とそぐわない。なんだろう。

 

でもこういう、不思議で朦朧とした感じの小説、好きですね。論理明快な推理小説みたいに、作者の説明に必死でついていかなくて済むから。疲れているときにぼんやりと読みたいタイプの本。

 

 

 

この本は、終わり方がよかったですね。主人公に共感できない人は全然できないでしょうが、私はこういう生き方に漠然とした憧れがある。どこにも定着せず、自分を知ってる人が誰も居ない土地を選んで、嘘の名前で生きること。

 

 いまいるここで、東京を離れいくつめの町になるのやら、いつからか正確に把握していない。短くてひと月から長くて一年半ごとに、北から南まで、観光地でなくこれといった特徴のない町、産業が衰え過疎化の進んだ町ばかりに引き寄せられ、移り住んでいる。候補地はいたるところにある。五、六年を過ぎた。

(…)

 掛け持ちもしょっちゅうだ。鵜吞みにしたマニュアルに従うだけで良く、独自の個性や発想といったものはむしろ邪魔になるだけの仕事、一日の終わりがくるといつもボロ切れのように疲れ果て、ただ、倒れて眠るしかない、休日もろくになく余計な感情を根こそぎ奪われる仕事が理想だ。なにも考えず、思い出さないで生きていける。

仕事に関しては、私はもっと楽なのをやりたいですが。でも彼女は「なにも考えず、思い出さないで生きて」いきたいから、こういう仕事を選ぶわけですね。彼女は逃亡者であるので。

罪から逃れるために名前を変えて土地を転々とする、って小説としてそんな目新しい設定ではないと思うんですが、なんか面白かったな~この小説。

やっぱりこの、作中全体に漂ううら寂しい雰囲気が好きですね。あと記事内では書きませんでしたが、ちゃんと物語内に起伏があって読者を飽きさせなかった。

 

あと、いま最後の箇所を読み返してたら、まさに最終行に「くちびるがほころぶ」ってあって、連絡船の場面での「精一杯のほがらかな笑顔」も、この記述とつながっているのかもしれないと思った。

 

 

 

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昨日借りてきた本、宮本輝『星々の悲しみ』、中村文則『迷宮』、有栖川有栖『こうして誰もいなくなった』。

有栖川有栖は読んだことないけど知人がおもしろいと言っていたので。

いまは『迷宮』を読んでいる。中村文則は作品によって当たり外れがかなり大きいが、やはり文体がよい。この反社会性と陰鬱さがたまらない。