まくら

読んだ本や好きな文章の感想

2024年度共通テスト国語の評論を好きに解説する

※ほぼ同じ内容の記事をnoteにも上げています

 

 

実は国語の文章問題(高校生向け)を作っていたことがある。せっかくなので作問者目線で共通テストを解説してみる。

 

 

 

 

 

 

全体的な感想

解き直しの結果、194点だった。小説で一問間違えた。

2022年度の問題はたくさん間違えていた記憶があるので(特に評論)、あの年に比べれば答えは出しやすかった。

 

評論が一番解きづらかった。評論だけ小説・古文・漢文と選択肢のテイストが違っていたので、作問の中心人物は評論だけ別人だと予想(共通テストレベルになると大問ごとに担当が違うのは当然かもしれないが)。

問題の作り方としては評論が一番美しくないと感じた。選択肢を読んでも読んでも内容が頭に入ってこない。まあそれによって難易度が上がっていたから、わざとそうしているのかもしれない。

 

 

 

 

問1

全体的に頻出そうな漢字。

共通テストになってから、センター試験時代より少し易しめになっている気がする。

 

 

 

 

問2

読んでもなかなか内容が頭に入ってこない嫌な選択肢だった。それっぽい言葉でそれっぽい内容を書いているが、読み終わったときに「私は今、何を読んだ…?」となった。

これは私のやり方なのだが、こういうモヤッ…とした選択肢はじっくり読む前にまず自分の言葉で答えを出しておいたほうがいい。特に、記述は得意だが選択問題はなぜか間違えるという人におすすめする。

 

で、傍線Aのように筆者が述べる理由は5, 6段落で述べられているので、その内容をまとめる。

 

  • 追悼ミサで演奏された《レクイエム》は、宗教行事(典礼)のようにも音楽のようにも見える(5段落)
  • 《レクイエム》を典礼というより音楽として扱った結果、(おもしろいことに)音楽だけでなく典礼もまとめて「作品化」され鑑賞の対象になった(6段落)

これら2つの要素が含まれているのは選択肢5のみ。

 

5段落後ろから3行目「音楽自体を『鑑賞』の対象にしている」などから、「鑑賞」の語は「音楽」(ひいては「芸術作品」)の語と結びつく、ということに気づく必要があったかもしれない。つまり、音楽でない「典礼」は、本来「鑑賞」されるものではない。しかし音楽といっしょに「全体が『作品化』され」たため、「鑑賞」の対象になったのである

したがって、選択肢5の後半「典礼全体を一つのイヴェントとして鑑賞する」というのは、「本来は芸術作品でないはずの典礼を『作品化』して鑑賞する」ということである。

 

※なぜ正答で「イヴェント」という語を使ったのかは謎である。ここは素直に「作品」などとしておくほうがよかったのでは。この「イヴェント」が意味するものがわからず迷った人もいそう。

 

 

 

問題を解く際、どこまで読めばいいか

ちなみに、私が本文中に傍線を引いて作問する場合、「解答の根拠」となる記述が次の(同じ種類の)傍線を越えることは基本的にない。文章を読み進めるのと並行するように、問1から順に問題を解けるようにする。

 

なお、全体のまとめとなるような問題を最後に作る際に、傍線を引ける場所がどうしても最初の方にしかなかったりした場合、傍線の種類を変える。

 

例えば、

第1段落に問3(まとめ問題)の傍線→二重線、波線など

第2段落に問1の傍線→ふつうの傍線(1)

第3段落に問2の傍線→ふつうの傍線(2)

のようにする。

 

だから解答の根拠は、基本的に傍線より前〜次の傍線の直前までで探せばよいと思う。ただ、(特に後半の問題で)文章全体をふまえないと解きづらい・解けない問題が出ることもあるので、参考程度にとどめておいてほしい。

 

 

 

 

問3

傍線Bの内容は7, 8段落で述べられているので、そこを要約する。

「もの自体」だけでなく、「それが使われたコンテクスト」も美術館や博物館で示すようになった→物そのものを取り巻くコンテクスト、つまり「現実の時空」にも「鑑賞」のまなざしが向けられるようになった

もともとは美術館や博物館の中だけで発生していた「鑑賞」のまなざしが、美術館の外にある風景などにも向けられるようになった、ということだ。

この内容に合致するのは選択肢1。

 

 

 

誤答解説

 

2 : 「美術館や博物館内部の空間よりも」が誤りかと思われる。だいぶギリギリだが。「イメージする」「生活空間」という語もベストではないな〜という感じだが誤答の根拠にするには弱い。

 

3 : 「施設の内部と外部の境界が曖昧になってきた」が誤り…と思う。だが、「8段落で『「鑑賞」のまなざしが〜町全体に流れ込むようになってきている』って言ってるやん!!!」と言われると、そうだね……とも思う。これも正直「完全な誤答」とは私は言い切れない。

 

4 : まず、「生活の中にあった事物」が誤りだと思う。これが何を指すのか不明瞭だが、「作品のコンテクスト」などとはっきり書いてほしいところ。また、鑑賞のまなざしが向けられるのは「作品と結びついたコンテクスト全体」というよりは、美術館や博物館の外にある現実空間(必ずしも芸術作品とは結びついていない)。さらに、7, 8段落では「主題化」がどうのという話はしていない。

 

5 : 「町全体をテーマパーク化し〜」以降が誤り。都市が意図的に「関心を呼び込もうと」してテーマパーク化したとは書かれていない。

 

 

問3の選択肢も全体的に微妙だ。「絶対に誤答!」という確信を持ちづらい。

 

 

 

 

問4

傍線Cの直後にある一文が「〜からである。」で終わっているため、この文が傍線部の理由になっているとわかる。しかしこの一文だけでは意味がわかりづらいので、結局9, 10段落全体をふまえて考えることになる。

 

まず、傍線直後にある「このような状況」とは、9段落の1, 2文目で述べられている状況を指す。つまり、「『音楽』や『芸術』という概念がコンサートホールや美術館の外にまで溢れ出してきている状況」だ。

 

そして、上記のような状況は、「特定の歴史的・文化的コンテクストの中で一定の価値観やイデオロギーに媒介されることによって成り立っている」。つまり、どこまでが芸術でどこからがそうでないかという線引(芸術の定義)は、時代や文化によって変わりうる、ということだ。

芸術を芸術たらしめる「本質」が最初から存在しているわけではなく、そのときどきの人間の価値観によって「芸術」の概念は変化する。このことを9段落では「『音楽』や『芸術』は決して最初から『ある』わけではなく、『なる』ものである」と表現している。

以上の内容に合致するのは選択肢5。

 

ただ、この正答選択肢もはっきり言ってお粗末な印象を受ける。

まず前半、「『鑑賞』のまなざしと関わり合いながら」という箇所。こうした「関わる」「関係がある」といった表現は、因果関係を明言できないときに使う便利な表現だ。因果関係だろうが相関関係だろうがなんらかの関わりが少しでもあれば使えるので、私も正答の選択肢を作るときには使いたくなる。ただ、情報量が少なくモヤッとした文になってしまうので、なるべく使わないようにしている。

また後半にある「本質化」は本文にある表現そのままなので、できれば言い換えてほしかったところだ。「本質化され、普遍的な価値を持つ〜」と続けているが、「本質化」をうまく言い換えられず、かといって「普遍的な価値」とだけ言ってしまうのも不適当と思ったために、このようにフワッと連用形でつなぐモヤッとした書き方になったのではないか。

 

 

 

誤答解説

 

1 : 「概念化を促す原動力としての人々の心性を捉えそこねてしまう」は何を言っているのかよくわからないが、「概念化」「原動力」「人々の心性」といった要素は9, 10段落に出てこなかったため誤答。評論っぽい小難しい言葉を並べてはいるが結局何が言いたいのかわからない、私の嫌いなタイプの選択肢である。私が校正担当なら修正している。

 

2 : 「評価され」がまず怪しい。評価という意識的な行為によって芸術の概念が変化したという書き方はされていない。

厄介なのが後半「グローバリズムの理論」だが、これは筆者が何を言おうとしているのか正直よくわからなかった。急に別の話になった印象を受けた。選択肢2と5で迷ったが、選択肢5のほうが9, 10段落の内容をより適切に要約していると思い2は✕にした。

グローバリズムの理論」は、二次試験の記述問題でなら傍線が引かれる箇所かもしれない。

 

3 : 「あらゆるものが『音楽化』や『芸術化』の対象になってゆく」わけではない。また、その状況を説明できないことを理由に、「(音楽や芸術の概念を自明の前提として捉える態度に)警戒心を持って周到に臨まなければならない」(傍線C)と述べているわけではない。

 

4 : 「コンサートホールや美術館の中で生まれた価値観やイデオロギー」がまず誤りか。

また後半に、「音楽」や「芸術」の概念が形作られてきた過程を無視してその概念を自明のものとすると、「音楽」や「芸術」の概念周辺ではたらく力学の変容過程を明確にできなくなる、とあるが、そのような因果関係は本文で述べられていない。……と思ったが、何度も読んでいるうちによくわからなくなってきた。

誤答っぽい要素をさらに挙げておくと、選択肢4は「力学の変容過程を明確にできなくなるから」音楽や芸術の概念を自明の前提とすることに警戒すべきと述べているわけだが、何のために力学の変容過程を明確にするのかというと、それは音楽や芸術が「なる」ものであって「ある」ものでないことを知るためだ。つまり、選択肢4の結論は選択肢5に比べると遠回りなものになっているので、「最も適当なもの」と言われたら選択肢5になる。のかなと思った。あまり自信なし。

 

 

 

 

問5

選択肢3と4で迷った。が、3のほうがより誤答かなということで3にした。

 

選択肢3は、「新たに別の問題への転換を図っており」が誤り。7段落は、6段落までに語られていた音楽の話を「芸術」全般へと敷衍した内容になっており、「別の問題」へと転換してはいない。

 

選択肢4で迷ったのは、9段落で「問題点」について述べられていると思えなかったからだ。傍線Cのあたりで「『音楽』や『芸術』という概念が自明の前提であるかのように考えてスタートしてしまうような議論に対しては、なおさら警戒心をもって周到に臨まなければならないのではないだろうか」とはあるが、「『音楽』や『芸術』という概念が自明の前提であるかのように考えてスタートしてしまうような議論」が存在し、そしてそれが問題だ、とまでは述べていない。もし存在するなら注意すべきだ、とまでしか読めない。

ここで厄介なのが10段落冒頭にある「問題のポイント」という語だ。私は上述の理由から、この「問題」は、「問題点」つまりproblemではなくmatterなのではないかと思った。「『音楽』や『芸術』は決して最初から『ある』わけではなく、『なる』ものである」というのも、別にこれ自体は「問題点」ではないだろう。

だから選択肢4は、10段落「問題のポイント」の「問題」をmatterでなくproblemとして扱った引っ掛け選択肢だと思ったのだが……。正直、今読み直しても選択肢4は適当な内容であるとは思えない。

釈然としないので、選択肢4は適当な内容であるとして説明できる方がいたらご教授願いたい。

 

 

 

 

問6

Sさん、本文読んでなくて草。

「本文では現実を鑑賞の対象とすることに注意深くなるよう主張されていた」って、そうだったか? どこに書いてあった?

 

もうここまで来ると私が間違っているのかもしれない。自信がなくなってきた。だがここまで来たので最後まで好きなように書く。

 

とりあえずSさんの【文章】を要約すると、「作品は現実の見方に影響を及ぼし、また現実も作品の見方に影響を及ぼす」ということだ。

 

 

(i)

これは本文を読まなくても解ける。というか、【文章】と本文の関わりが浅すぎるので(i)〜(iii)すべて本文を読まずに解ける。共通テストで作問者のオリジナル文章の読解(読み比べなし)をやらされるとは思っていなかった。文科省的にはこれでいいのだろうか。

 

(a)直後「このように、私たちは〜」の内容と合致するのは選択肢1のみ。

 

 

(ii)

加筆する文は「それは、〜作品を自分なりに捉え直すということをしたからだろう」となっているので、「作品に対する認識が変わった」というような内容の後に入るとわかる。これでcとdに絞れる

文の運びからしてなんとなくcに入るんだろうなとは思ったが、なんとなくではdを誤答にする根拠にならない。

ここで重要になるのが設問文だ。「Sさんは、自身が感じ取った印象に理由を加えて自らの主張につなげるため〜」とある。つまりここで、「印象→理由→主張」の順番になりますよ、と作問者が言っているのだ。加筆する文は「理由」にあたるので、cに入ることになる。

 

設問文をちゃんと読まないと答えを絞れない問題というのは、(誤っているものを選ぶ問題を除いて)珍しいなと思ったが、まあ設問文を読むのは当然のことなのでこういう問題が出てもしょうがないというか、そんなこともあるか。と思った。作問者の先生が作った問題のままだと答えを一つに絞れず、編集が苦肉の策で設問文を修正した問題のような印象を受けた(よくある)。

 

 

(iii)

先に述べたように、Sさんの【文章】は「作品は現実の見方に影響を及ぼし、また現実も作品の見方に影響を及ぼす」という趣旨だった。現実と作品に対して同じ重みが与えられているのは選択肢2のみなのでこれが正答。

 

 

----------

noteでは「次は小説やる予定です」と書いたが、評論だけでだいぶ力尽きてしまった。小説の解説をするにしてもいつごろになるかはわからない。

もしこの年度のこの問題の解説希望、というのがあればメールフォームからでも送ってください(有料になる可能性あり・解説できるかはわからない)

 

最近もいろいろと本を読んではいる。『幼さという戦略』『菊と刀』『「甘え」の構造』などを読んだが、内容があまり頭に残っていない。『雨の中で踊れ』という短編小説のアンソロジーも読んだが、あまり興味はそそられなかった。いまは皆川博子『ペガサスの挽歌』を読んでいる。