河野裕子と永田和宏は二人とも歌人で、夫婦。永田さんは生物学者でもある。二人は仲睦まじい夫婦だったが、河野さんは2010年に癌で亡くなった。という程度の知識(イメージ)でこの本を読んだ。
タイトルにもなっている「たとへば君」は河野さんのこの歌からですね。
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
有名な歌。私もとても好きな歌。「ガサッと落葉すくふやうに」から想起される、枯葉の匂い、積もった枯葉を踏み砕く感触、も季節感が濃くて好きだし、あと落葉をすくうという子供っぽい行為が「私をさらつて」行くことに結びつけられる落差? なんだろう、ノスタルジーとあどけなさと大人の行き詰まりみたいなものが巧みに絡み合ってる歌だと思う。
この本は主に二人の短歌と、河野さんの書いた散文が交互に載る。おそらくだいたい時系列に沿っている。そして本の最初と最後に永田さんの文章がある、という構成。
まずは二人がそれぞれ書いた、お互いとの出会いの記憶が印象的だった。食い違ってるんですよね。
その顔合わせの歌会の日、私が楽友会館の二階の部屋に入った時、窓際に一人の少女が立っていた。(…)
河野自身は、私が先に来ていて窓際に立っていたと書いているが(第一章)、私の記憶では彼女が先だったような気がする。大きな厚い木のテーブルを挟んで、しばらく二人の時間があった。(永田和宏)
楽友会館というのは、京大キャンパスの中にあって、大正末に建てられた趣のある古風な建物でしてね。あの人が一番初めに来ていたらしくて、立って窓の外を見ていた。私が入っていったら振り向いた。それが初めての出会いだったと思います。テーブルをはさんで向かい合って座ったんです。(河野裕子)
二人とも「相手が先に来ていた」と記憶しているのがなんだかロマンチックだな。恋人との初めての出会いの記憶というのは、窓際に立っていた相手が自分を振り向くところから始まるものなのかもしれない。
出会った大学生時代の二人はどんどん仲を深めていく。「次第に二人きりで逢う回数が多くなっていった」「二人とも、熱に浮かされたような逢い方であった」(永田和宏「出会いのころ」)。
真冬の京都府立植物園。たぶん二人きりで逢うようになって、一年ほど経ったころだろうか。凍り付いた噴水の前で、初めてキスをした。大きなプラタナスの樹の下だった。冬の植物園には、ほとんど人影はなかった。からんと透明な、しんとしてはるかかなたまで見透せるような空気の感じを覚えている。(…)
衝動的な行動だったはずで、前後の脈絡はまったく覚えていない。私には生まれて初めてのキスであった。覚えているのは、彼女がはげしく泣いたことだ。うろたえてしまった私は、茫然と彼女の前に突っ立っていたような気がする。彼女がなぜ泣いたのかは、もちろんもう一人の恋人への思いと、私への思いの板ばさみからであったのだろう。(永田和宏)
「真冬の京都府立植物園」「凍り付いた噴水の前」「初めてのキス」すべてが、良すぎる。「私には生まれて初めてのキスであった」まで読んで「ウオーーーーーーーー!!!」っつってこっちが悶えてしまった。あ、あまずっぺ~~~。そして文章がウメ~~~。基本的に自叙伝だの人の過去の恋愛話(実話)だのって興味なくて読まないんですけど、この本はよかったですね。だいたいうっすら観念的で、文学だった。
いだきあうわれらの背後息あらく人駆けゆきしのち深き闇
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
(「河野裕子「森のやうに獣のやうに」」)
二人が出会ったころの若い日の歌だと思って読むと、みずみずしいですね。二人で過ごすことの新鮮さが感じられる。
河野さんの感性の繊細さがすばらしいなと思ったのがこのエピソード。
つきあいはじめたころ、黒谷の墓場でデートしていて「あなたのお母さんはどんな人なの」と聞いたら、「目が二つある」と言ったんです。それだけで私はドッと泣いちゃった。あの人は実のお母さんから抱かれた記憶が無くてね。生みの母親のことを全然知らない。私は二番目のお母さんのことを聞いたのですが。
永田は何も言わなかったけれど、そのとき全部わかった。ああ、この人はこんなに寂しかったんだと。「目が二つある」って、それしか表現しようもなかったんじゃないでしょうか。(河野裕子『私の会った人びと』)
もし私が人に相手の母親のことを聞いて「目が二つある」って返されたら、その場では「え?w」って返してしまう気がする。あとで家に帰ってから「あの発言って……」って思うかも。でも河野さんはその言葉を聞いて「ドッと泣」く。「ああ、この人はこんなに寂しかったんだ」と。
「目が二つある」って言葉から、相手の深い寂しさをすぐに感じられる感受性が素敵だなと思った。
もう一つ私が素敵だなと思ったのが、歌人としての二人があくまで「個人」どうしであると感じられたところ。
『家』という歌集を出したときに永田が、どういう話からか忘れましたが、「お前はこんなに淋しかったのか」って言ったんです。それが忘れられなくて。
うちの夫婦は私が何でも喋るんです。永田が帰ってくるとトイレまで付いていって外から喋る。あったことも思ったことも全部。これだけ話してきて、いつもいつもくっついてきた夫婦で淋しさなんて一番わかっているはずなのに、「お前はこんなにさびしかったのか」って言われて、短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあってゆく詩型だなあと改めて思いました。(河野裕子(「合歓」21号 平成十四年六月))
この本に載っている歌を読んで、明らかに相手を思って詠んだ恋歌であっても、それは手紙のような他者へ向けたメッセージになるのではなく、どこまでいっても「個人的な」形になるのだなあと思った。相手に何を伝えたい、どう感じてほしい、じゃなくて、「私はこのときこう思った」なんですよね。そういう個人的な形で自分の感情を表出できて、相手は「読者」の立場をとる。こうした交流のしかたを私はしたことがないけど、なんかすごくいいなあと思ったんですよね。間接的な形の方が、より深く相手のことを知れるというのも往々にしてあると思う。これは二人が優れた表現者であり優れた読み手であるからこそ実現できることだとは思いますが。
あと、実際にそう呼び合っていたのかは知らないが、この本の中で二人がお互いのことを「永田」「河野」と名字で呼びあっていたところが好きだった。
脚ながく太き筋肉もてる者ぬばたまの夜毎見上げて不可知(河野裕子「はやりを」)
「ぬばたまの夜毎見上げて不可知」、こんなに近しいのに夫は得体の知れない他者であり続ける。
そして、河野さんが発病するわけですが、それ以降の歌も散文もどっちも読んでて苦しくて仕方なくてあまり感想が書けない。
終点まで乗りてゆかうと君が言ふああいいよ他に誰も居ない(河野裕子「葦舟」)
馬鹿ばなし向うの角まで続けようか君が笑っていたいと言うなら(永田和宏「日和」)
大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙つて背を撫でくるる(河野裕子「葦舟」)
ひき受けてやれない私は庭に出て雪だ雪だときみを呼ぶのみ
「その身体引き受けてあげようと言ふ人はひとりもあらず たんぽぽ、ぽつぽ」河野裕子
(永田和宏 未刊歌集より)
お互いが歌人であったからこそできた関わり方も多くあっただろうが、一方でこれだけたくさん、相手の思考が生々しく乗った歌という痕跡が残ってしまったら、読み返したとききっとすさまじく苦しいだろう。と思っていたらやはり永田さんも詠んでいた。
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田和宏 未刊歌集より)
この本には人間の生きた証、思考の形跡が濃密にあった。美しいなと思ったけどそれ以上に苦しさもあった。
永田さんの歌集は過去に読んで感想を書いているのでリンク貼っておきます