まくら

読んだ本や好きな文章の感想

「怪物」観てきたんだけど是枝裕和って天才?

万引き家族」にずっと大感動し続けているので、かなりの期待を抱いて昨日「怪物」を観に行った。

 

 

 

 

以下、日記兼感想です。ネタバレあります。これを読むとストーリーがわかる、というほどではないですが、具体的な描写に対する言及(と私なりの解釈)がたくさんあるので、ネタバレ受けたくない人は読まない方がいいです。

 

 

 

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前回スラムダンクを観たのと同じ映画館に観に行った。ちょっと田舎にあって人が少なめで、椅子がゆったりめで好きである。

結構話題になっている映画だと思っていたが、上映は18時ごろ開始の1日1回のみ。入ってみたら、小さめシアターの客席が1割も埋まっていない(5,6組ぐらいしかいなかったんじゃないだろうか)。期待が高まる。映画館で人が多いのは好きじゃないし、一人で没入して観たいと思っていたからちょうどいい。

 

 

開演。なんかこの人の声聞いたことある?…多分「万引き家族」にも出てた人だ!

スゲ~「母」。え?  こんな母、ほしい。すでに演技上手すぎる。そして安定の、ちょうどいい「説明の無さ」。場面転換の早さが気持ちいい。そうそう、こんな感じだったよな……。

 

………………

 

 

総合的な感想を言うと、まず1つ目に、めっちゃ技巧的。否応なくずっと脳みそがフル回転していた。伏線、というか、すべてが順序だてて説明されるんじゃなくて、断片的な描写A→断片的な描写B→断片的な描写C→断片的な描写A’(←あっ、描写Aってそういうこと!?)みたいなのが積み重なって、パズルのピースがちょっとずつ埋まっていくような構成になっていた。ミスリードの仕方も非常に巧み。

 

この映画はまず第一に、「事実の切り取り方によって、受け手の印象は180度変わる」というのを見せる映画だった。芥川の「藪の中」とはちょっと違うが、雰囲気としてはあんな感じ。

「誰の視点から見るかによって誰が“怪物”なのかは変わる」「自分も誰かにとっての“怪物”になりうる」というのがテーマの一つになっていたとは思うんだけど、しかしそれが一番中心的な監督からの「メッセージ」だったとは思えない。

 

じゃあ何がメッセージだったのかというと、それがわからなかった……。「万引き家族」のメッセージがかなりわかりやすかった(必ずしも血縁によってのみ人は「家族」になれるわけではない、というのがメッセージだと私は解した)分、エンドロールに入ったとき「え!?  終わっちゃった!」って困惑した。

帰宅しながら考えてみたが、まとめるなら「人は誰しも“怪物”になりうるが、“怪物”にもそれぞれの人生がある」ひいては「“怪物”でも、生きてていい」ってことなのかな……と思った。

 

湊くんと校長先生が楽器を吹くシーンで校長先生が言った言葉が多分、監督からのメッセージに肉薄する言葉なのかな…と感じはしたが、それでもピンとこなかった……。

 

 

で2つ目に、すごく技巧的ではあるんだけど、同時にものすごく抒情的でもあるんだよね。文学的というか。技巧的って言うと「インセプション」みたいな理詰め感、ロジック感を想像してしまうかもしれないが、ああいう感じではない。まったくない。

言うなれば「隅々まで意識が行き届きすべてが計算され尽くされているが、それを感じさせない“さりげなさ”」。それが緊張感をもって、画面中に張りつめていた。日本庭園みたいな感じか?

「これがああなってこうだから、こうなります」という、観客への説明がない。以前『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』という本で、是枝裕和監督と永田和宏歌人生物学者)の対談を読んだが、その中で「言葉による説明をなるべく削ろうと思っている」と是枝さんが言っていたように記憶している。「万引き家族」もだったが、「怪物」もまさにそれだった。

 

その「説明の無さ」がめちゃくちゃ気持ちいいんだよね……。そうそうそう、これぐらいでいいんだよ。「俺たち」はそれについていけるから。何というか、観客を信用している、と感じられた。これが気持ちいいし、嬉しい。

 

具体的に言うと、例えば星川依里くんの家の描写。室内は麦野家に比べて物が少なく整然としていて、オシャレな雰囲気だった。「いいとこの家」だな~って感じ。でもそのあと、保利先生が星川のお父さんに会ったときに庭の様子が映るんだけど、室内とは一転、ゴミが多くて雑然としている。

で、それ見たとき、「あ~このお父さんって外面はいいけど、外から見えないところではヤバイ人間なんだな」って察せられた。それは保利先生と星川父との会話内容からもわかったけど、話す二人と一緒に画面に映っている庭の映像から「視覚的にも」理解できた。

そういうふうに、背景だとか服装だとかの舞台装置ひとつひとつが登場人物のパーソナリティなり状況なりを物語っていて、そのために画面から目を離せなかった。「あ~依里くんの服装って……」とか「あ~教室に貼ってある標語……」とかね。

 

あともう一つわかりやすかった例が、湊くんが依里くんを風呂から引き上げるときの描写。引き上げられたとき、依里くんの服がめくれあがって、背中に複数のあざがあるのが見えるんだよね。多分、父親からの虐待。

でも、それに対して「おい、なんだよそのアザ!」「……(何かをごまかすような微笑)」みたいなやり取りをさせたりしないんですよ。依里くんの背中をアップで映したりしないんですよ。無言で、さりげなく、でも観客の目線が自然と依里くんの背中に向くようなカメラワークがなされていて、「上手いな……」と思った。観客を、信頼している。

 

本や漫画なら自分が分かっている分の説明は読み飛ばせばいいが、映画のような映像作品での過剰な説明はうっとうしいし、不自然。かといって説明がなくても意味がわからないし、「わかりづらく作りやがって」とムカついてくる。

それを「怪物」では、登場人物による言葉での説明を極限まで削りつつ、「視覚的」に説明してくる。観客に「あ~なるほど、そういうことね……。俺はわかったよ、監督の言いたいこと(ニッコリ)」と思わせる、その塩梅が本当に絶妙だった。

私は映像作品ってあんまり見なくて、音楽も歌詞にばっかり集中するし、人の顔もよく覚えられないし、小説や漫画などの言語情報に認知特性全振りみたいな人間なんだが、そんな私にでも伝わった。

 

 

ほか、細かいところへの感想。

 

・「セクシャルマイノリティを描いてる」という前情報だけもった状態で見たんだけど、別にそれが主題というわけではないなと思ったのでこの前情報は知らずに見たかった。確かにセクシャルマイノリティが描かれてはいるが、ほかにも「シングルマザー」「発達障害(多分)」「ディスレクシア(多分)」などのパーソナリティも描かれていて、(これらのパーソナリティは同列に語るべきものでないのかもしれないが、それでも)「セクシャルマイノリティを描いた映画!」と言うのはちょっと違うかなと思った。

でも「セクシャルマイノリティを描いている」という前情報を見て私は観たい気持ちが高まったのも事実なので、難しいところですね。

 

・湊くんの病院に付き添っているときの、母の結婚指輪に注目させるようなカメラのアングル、あれきっと意図的ですよね? こういう「さりげなさ」がたまんね~~

 

・セリフの言い方が自然すぎて聞き取れなかったところが2,3か所ほどあった。

 

・景色だけを映すカットでも、ウルトラマン帽にしている男子とか、水が断続的に出てきてるところとか、どこかしら「視点の中心」が設定されているのが画家の発想みたいだと思った。

 

・母の目から見たら先生はかなりヤバい奴だったが、先生目線から見たらそこまでヤバい奴に見えない。先生目線を見たときは「あの場面で飴をなめる」ような人には見えなかったけど、先生目線のときは先生のヤバ振る舞いはすべてカットされているのかな。先生自身からしてみればヤバくないから? 「そういう映画」なんだろうけど、この辺はちょっと違和感があった。

 

・依里くんはなぜ父親からあんなふうにまで言われていたのか。ディスレクシアではなくセクシャリティのためなのだろうが、小5で、父親にあそこまで言わしめるだけの何かが過去にあったのだろうか。髪を撫でてたとき、あとバスの中での振る舞いから推測することはできるが、あの幼い見た目のためになんか釈然としない感じが残る。

 

・あてっこゲームしてたときの、豚に関する説明が印象的だった。あと湊くんカタツムリに関して博識。「怪物」のカードに描かれてた怪物の体がハートだったのも示唆的だった。

 

【わからなかったところ】

・湊くんって保利先生に恨みとかあったの? これは私の見落としの気がするけど、私がわかったのは「男らしく」発言ぐらいだったから、なぜそうまでして保利先生を陥れようとしたのかよくわからなかった。性自認と性指向は別の話なので(そして湊くんの性自認は男に見えるので)「男らしく」発言がそんなに致命的だったとは思わない。でも「2年生のときの先生は、湊の作文を笑いませんでした」っていう発言があったから、湊くんが5年になってから書いた「将来」の作文の内容に関わってくるのかな…? その内容に関する描写ってあったっけ…?

・「俺が間違ってた、お前間違ってないよ」発言も謎だった。あの作文だけで二人の関係性を理解できるものなのか? そして「間違ってた」と言うからにはもっと決定的な何かをしていたのか…?

・クラスの児童が書いたアンケートの答えも謎。なぜクラスぐるみでそのようなことを?

・鏡文字・音読のときのつっかかり方から、依里くんはディスレクシアだと思うんだけど、依里くんをディスレクシアにした必然性がわからなかった。でも必然性なんてなくていいのかも。

・校長先生の夫との会話の意味、あと校長先生の心理が全体的によくわからなかった。

 

 

 

藤本タツキ作品に出てくる映画の元ネタ一つも知らないぐらい映画に詳しくないけど、意外と感想書けた。好きな映画3つ挙げろって言われたら「万引き家族」「冷たい熱帯魚」「少年は残酷な弓を射る」なんですが、再度見る機会があったら感想書くかも。