まくら

読んだ本や好きな文章の感想

『窮鼠はチーズの夢を見る』から教わった「恋」と「責任」、そして「同性とともに生きる」ということ

水城せとな『窮鼠はチーズの夢を見る』という漫画を会社の先輩から激しく薦められ、軽い気持ちで読み始めたらぶっ倒れた。

恋と性愛、人間関係と責任、そしてこの社会で「同性を選んで生きること」とはどういうことなのか。丁寧に誠実に、この本が教えてくれた。

 

前にも書いたけど、私がこれまで読んできた「恋愛」をテーマにした漫画の中で圧倒的ぶっちぎりに一番好きな作品です。水城せとな先生、一体何人分の人生を生きてる?  どうしたらそんなセリフが出てくるんですか?  この人の作品読むたび「こういう人が『創作者』なんだろうな」って痛感する。

 

 

 

 

『窮鼠』とその続編である『俎上』はバージョンがいろいろあって、濡れ場の修正や書き下ろし番外編の有無などの違いがあるみたいです。私は先輩から性器修正のない新装版を紙で借りて読んで、そのあと『窮鼠』『俎上』が一つにまとまった「オールインワンエディション」を電子で買いました。個人的には濡れ場で性器の描写はなくて構わない派なので、オールインワンエディションで特に問題ありませんでした。

各バージョンの詳しい違いについては、こちらの水城せとな先生公式ブログの説明をご覧ください↓

『窮鼠はチーズの夢を見る』オールインワンエディション&リブートエディション発売。これまでの全エディションまとめ! | ◆◆◆ ミズシログ ◆◆◆

 

 

 

以下、ストーリーへの言及がたくさんあるので未読の人は注意してください。

 

 

 

 

 

人を愛するという「責任」

 

なんだろう。ずっと「責任」の話をしている。

 

話の主軸となる登場人物は、女からモテる異性愛者の29歳男性・大伴恭一と、大伴の大学の後輩で大伴のことを愛している同性愛者・今ヶ瀬の二人。

大伴は女から誘われるたび関係を持ってしまう「流され侍」。ただこの物語で糾弾されるのは不倫行為それ自体ではなく、「責任をもとうとしないこと」なんですよね。

 

事の始まりは、調査会社に勤めている今ヶ瀬に、大伴の妻が大伴の浮気調査をお願いしたこと。今ヶ瀬に呼び出されて過去の不倫の証拠をつきつけられたとき、大伴はこう言う。

俺から誘ったわけじゃないんだよ 彼女が強引で

俺からは何もしていないのに 向こうが

 

不倫関係だけじゃなくて、夫婦関係や過去の恋人関係においても大伴はずっとそうだった。

「買い物ぐらいしか喜ばせてやれることないから…」

「セックスは?」

「…………あんまり好きじゃないんだって…結婚前からそう言ってた

こっちから言い出して断られるのってなんかヘコむだろ  だからいいんだよ

金出して喜んでくれればそれが一番ラク…」

「ちゃんと好きだったよ」

「あたしが『別れる』って言ったらひとことの抵抗もなくアッサリ別れちゃったじゃない」

「それは…俺には何を言う資格もないと思ったから……」

「ホントに好きならそんな物分かりのいいこと言ってられないはずでしょ

恭一は優しかったけど 情熱みたいなものは見せてくれなかったよね…」

つまり大伴は、恋愛関係において、「自分から誰かを求める」ってことをしてこなかった人間なんですよ。されるがまま、求められるがまま相手に応じる、「相手から好意を示されると絶対拒めない」男。

そういう人間はある意味では「優しい」のかもしれないけど、「責任をもって人間関係を築くこと」から逃げ回っているとも言える。

 

 

で、そういう態度を妻には見抜かれていて、離婚を切り出してきた妻に大伴はこんなことを言われる。

「恭ちゃんがお金持ってきてくれて あたしがつかう

それぐらいしかツナガリがなかったじゃない? あたし達 …だから…

だけどもう本当は何も欲しくない

あなたに求めるものなんてもう何もないの」

 

「…『何も』って……そんな

何でも言ってくれれば俺やるよ! 何かあるだろ?

そう高いものは買ってやれないけど…ホラ家事をもっと手伝うとか」

 

「…そうやっていつも…

あたしが何か言うのを待ってる空気がもう

キモチワルイの」

 

マジ?

 

物語序盤でもうこんな「真理」ぶっこんでくる?

 

「あなたに求めるものなんてもう何もない」「あたしが何か言うのを待ってる空気がキモチワルイ」。相手から求められない限り与えようとしない、受け身な態度に対する痛烈な批判。

作品冒頭でいきなり大伴と今ヶ瀬のキスシーンが始まったとき「商業BL特有のご都合スピーディエッチ展開か……💦」って思っちゃったけどこのあたりで「あ、この作品って『BL』じゃないわ」って思った。(私がここで言う「BL作品」っていうのは、「男性同性愛」を「エンタメとして消費している作品」のことです)

 

 

で、さらに「だからもう新しい男の人作ったの」と妻から告げられる。それで大伴は怒りに任せて今ヶ瀬に電話をかける。「お前 知ってたんじゃないのか!?」って。

「貴方は奥様のことが大事だったんじゃないんですか?」

「それは相手も俺を大事に思ってくれてると思ってたからだ!!」

「俺は貴方が死ぬほど好きですよ …俺のこと好きになってくれますか?」

「………………それは……全然別の話だ…………」

「ホラそう来る  あなたはね 狡くてさもしくて贅沢なんですよ

『人が好い』なんてとんでもない」

 

そして、

 

「貴方は自分から人を想ったりしない そのくせ誰からも愛されたがって言いなりになったフリをするんだ

被害者ヅラしながら『もっと自分を愛してくれる相手がいるはずだ』ってキリなく期待して」

 

「だけどそれなら先輩 もう俺しかいないですよ

俺以上に貴方なんかを愛する人が 現れるわけないじゃないですか…!」

 

そう今ヶ瀬は大伴に告げる。

こうやってフリーになった大伴と、今ヶ瀬との関係が進んでいくわけなんですけど…………

 

もうこの時点で「え、今ヶ瀬、大丈夫か……?」というか、ここまで大伴の責任逃れ体質を理解してるのに、それでもお前は大伴を愛してしまうのか、って……

大伴のこと「狡くてさもしくて贅沢なんですよ」って言いながら、「俺以上に貴方なんかを愛する人が現れるわけないじゃないですか」って振り絞るように言う。なんつうか、恋、自分をボロボロにするような恋をしてしまっていない?

 

しかし、それにしても『窮鼠』、言葉選びがよすぎます。抉りすぎです、人間心理を。

なんだよこれ?

自分から人を愛してこなかった大伴、そのことを理解しながら大伴を愛さずにいられない今ヶ瀬。この要素だけでも十分物語は成立しうると思うけど、水城せとなはここからさらに「同性愛」の問題を持ち込んでくるわけ。

 

 

 

 

この社会で「同性を選ぶ」ことの意味

 

現時点で、日本社会において同性婚は認められていないわけで。つまり同性の人間を「人生の伴侶」として選ぶことにはさまざまな困難が伴う。

だけど日本のBL漫画でそのことに向き合っている作品って思いのほか少ない気がする。というか、ほとんど見たことがない。海外の映画(「モーリス」「ハンズ・オブ・ラヴ」など)ではいくつか見たことがあるけど。

 

私は同性愛をテーマとしているのに「結婚できない」という事実を完全に無視している作品に前々から多少の違和感を覚えていたんですよね。だってイチャラブ両想いになって、そのあとは? マジョリティのルートから外れることの困難、結婚していく周りの人間を見て何を思う? 一時の激しい性愛を見せられても「その後」が見えないから読んでもすっきりしないというか、「それで私はこの作品から何を学べばいい?」となってしまうんだよな。まあすべての作品に学びを求めるのは無茶だとわかっているが、それにしたって「その後の人生」を想定している同性愛作品が少なすぎないかと思っていた。

 

そんなときに、この「窮鼠」が、水城せとなが、全力で「人生」を描いて見せてくれたわけ。

もう本当に、今までこんな作品を読んだことがなくて、ひっくり返ってしまった。

 

 

今ヶ瀬と同棲状態になっている大伴が、大学時代の元カノ・夏生(なつき)と再会し、復縁を持ちかけられる。夏生がこれまた聡明な女で私は好きなんですけど、その話は置いておいて。

今ヶ瀬が夏生を食事に呼び出して一騎打ち(話し合い)する場面があるんですけど、このあたりから「同性を選ぶことの困難さ」の描写が表立ってくる。

 

「退いてください 恭一先輩に今さら近づくのはやめてください

俺 これでも結構いっぱいいっぱいなんですよ

キツイ思い何度もして ノンケのあの人相手にやっとここまで漕ぎつけたんです

あなたに本気出されたら俺に勝ち目はありません  だからお願いしてるんです

消えてください」

(…)

「負けを認めるならあんたが消えれば?

これ以上続けても 今ヶ瀬 ツライだけだと思う  もう諦めてラクになりなさいよ

恭一はね ハメルンの笛吹きにホイホイついていくネズミみたいなもんなの

みすみす溝(ドブ)に溺れさせるわけにはいかない   好きだから」

 

「ドブ……  ですか」

 

「ドブよ。」

 

まず、「キツイ思い何度もして ノンケのあの人相手にやっとここまで漕ぎつけたんです」「あなたに本気出されたら俺に勝ち目はありません 」という今ヶ瀬の言葉。

ここで気づかされる、同性愛者がノンケ(異性愛者)に近づくことがどれだけ困難なことなのか。辛酸を嘗めて苦労して苦労してやっと漕ぎつけたポジションも、異性にすぐに奪われてしまうんじゃないかとビクビクしてしまう。そういう「スタートラインの違い」をこのセリフで噛み締めた。

 

そして「ドブ」。ここでは今ヶ瀬のこと、男のこと。同性を選ぶことは「ドブに溺れる」ことだと言われてしまうんだ。

「今ヶ瀬と同じ世界で生きてく覚悟ができてるの?」「ここで降りなきゃ取り返しつかなくなっちゃうよ?」

夏生から大伴への言葉。残酷な言葉だと思うけど、強く反論できない……。実際大伴は異性愛者じゃないから、この時点ではまだ今ヶ瀬を選ぶ覚悟ができない。

実際大伴は夏生に「今ここでどちらか一方を選べ」と迫られ、夏生を選ぶ。

 

 

「…俺は  今ヶ瀬  お前を選ぶわけにはいかないよ

普通の男には無理だって ……わかるよな?」

 

「…はい 分はわきまえてるつもりです」

 

 

今ヶ瀬は表情も変えずにそう言って、夏生とともに店を出ていく大伴のことを見ようともしない。

でもここで今ヶ瀬が傷ついていないわけがなくて………………………ッッッ!!!!!!!

 

 

 

店を出たあと、夏生といっしょに適当なホテルを探す大伴がショーウィンドウに映る自分たちを見て、こんなことを考える。

 

町中の風景に溶けこむ ありふれたカップ

その姿に安堵している俺は

今 この瞬間も今ヶ瀬を傷つけている

 

もう私本当に このセリフ読んだときに「ウワーーーーーーーーーッッッッ……………………!!!!!!!」ってなっちゃって………水城せとなの「力量」の前に一瞬で屈服した。なにこのセリフ?  水城せとなって異性愛者ですよね?(どこかの作者コメントでそう書いてた)

水城せとなの書くセリフほぼすべてがそうなんだけど、もうこんなの「その立場」で「その人生」を「ウン年実際に生きたあと」に出てくるセリフだと思うんですよ。なんでこんなことが書けてしまうんですか?

「『男女でいること』に安心する」、だってこの社会は異性愛者を基準に作られているから。異性愛者のほうが圧倒的に多いから。そうすれば社会に受け入れられるから。目の前の人間がどうとかじゃなくて、自分が男だから女を選ぶ、そういう相手の選び方が今ヶ瀬を傷つける。そう。そうなんだよな。「当たり前」に傷つけられることが多すぎます。

 

 

 

あと私が好きなのが、なんだかんだあって大伴と今ヶ瀬が「終わりにしよう」ってなったあと、ドライブするくだりであった言葉。

「俺が女だったら もっと長くいろいろ楽しめたんでしょうね

サッサと外堀埋めて結婚に持ち込めたと思うし

貴方のご両親にも堂々と挨拶できたし

仕事なんか辞めて一日中貴方の衣食住のためだけに働いて暮らしたかった

子供2~3人産んでPTA活動とかも結構 張り切っちゃったりして

喧嘩したり倦怠期迎えたりしながら年をとって

『わたしもすぐ行くから天使と浮気したりしないでね』とか言って貴方の最後を看取るんだ」

 

「俺が先に死ぬのかよ」

 

「でもそんなの無理だし」

 

この「でもそんなの無理だし」で何度目かのおしまいになりました。自分たちが異性だったらできただろう平凡な夢を描いてみて「でもそんなの無理だし」。だけどこれって世の中の異性愛者たちは当然のようにやってることなんだよな。なんでだろう?なんでこんなに差がついてるんだろう?おしまいです。小佐野彈の歌集読んだときと同じような精神になった。私はこういう「あるはずだった幸福」を語られるのに弱いんです。

 

 

 

そして私がめちゃくちゃ好きなのが「ラスト」なんですよね……。これ私の周囲で窮鼠読んだ人全員に熱く語ったんですけど誰からも賛同を得られなくて草だった。

以下、読んでない人ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

 

 

最後、大伴は今ヶ瀬に「指輪を買うよ」って言うんですよね。まずこの時点で、あの責任逃れ大伴が「責任」を引き受けたことの証明だと思って大感動したんですけど、そのあとね。

 

「じゃあ俺にも貴方に指輪を買わせてください」

「いいけど…… 俺は会社には付けていけないよ」

 

私この大伴の「俺は会社には付けていけないよ」にマジでメチャクチャ感動して………………………!!??!!!????!??!?

いや、大伴が指輪をつけていかないことそれ自体ではなく、水城せとなが最後まで「同性愛が広く受け入れられていない社会」を書ききってくれたことに大感動した。そう、今ヶ瀬は指輪を夏生に見せびらかすけど、大伴は指輪を外にはつけていかないんだよ。なぜか?  この社会で同性愛が広く受け入れられていないからだよ。大伴と今ヶ瀬の関係はおおっぴらにできないものだと、大伴が感じているからだよ。

これで二人で左手薬指にはめた指輪を見せて、新婚生活❤イチャラブハッピーエンド❤みたいな終わり方されたら世に失望してましたけど、そうじゃなかった。ここで水城せとなへの信頼感が完全にカンストした。

 

 

それに単なる先行きハッピ―両想いにしなかった終わり方もめちゃくちゃに良くて、

 

「この恋の死を  俺は看取る」

「そこまでの死出の道をひとつでも多くの花で飾ってあげよう」

 

↑大伴がモノローグでこんな風に言うんですけど、恋のことを「死出の道」って表現するの良すぎる。「お前にはきっと俺の気持ちは永遠に伝わらないだろう」、そう言いながらも隣を歩くことを選ぶんですよ、大伴は。この恋はいつか終わる、疲弊しきった今ヶ瀬が自分から去って行く日がいずれ訪れる。それでもその道を「ひとつでも多くの花で飾ってあげよう」「俺にできることはそれくらいしかないから」……………………………………。

 

「どこまで行けるかわからないけど、行けるところまで行ってみよう」っていう結論の付け方が本当に好きだった。

こういうぐちゃぐちゃの、めちゃくちゃにもみ合って泥塗れになって、それでも終わりまでの道をいっしょに歩こうと努力することが「恋愛」なんだよ。

って読み終わったとき心の底から思って、ベッドの上で天井仰いで呆然自失していました。

マジでこんなふうに同性愛を描いてくれる漫画を初めて読んだので、読み終わったとき~感無量~だった。

 

 

まだ書きたかったことの半分も書けてない気がするんですが、窮鼠は言及したいセリフがあまりにも多すぎて永遠に書き終わらない気がしたのでこの辺でとめておきます。

 

本当は「セックスがもつ意義」についての話も5000字ぐらいで書きたかったが……。私は窮鼠読むまでプラトニックラブが至高♪ 肉欲は劣等♪みたいな思考をもっていたんですが、そうとも限らないんだなってこれ読んで気づかされた。

「カラダが欲しい時だってありますよ いけませんか?  好きな人とセックスしたいって思うのが悪いですか?」

↑今ヶ瀬のこのセリフでハッとした。別に悪くないよ。逆になんで「カラダ目当て」は悪いこと、みたいに考えてしまっていたんだろう? 好きな人とセックスしたい、そりゃごく自然な欲求だよな……

そしてセックスにおいて「相手に求められる」ということ…つまり入れられる側が得られる精神的な満足ってやつね………これについてもめちゃくちゃ書きたいことあるな。後日もう一つのブログの方とかで書き散らすかも。

 

最近は小野不由美十二国記中上健次(『鳥のように獣のように』『蛇淫』)読んでます。本当は週1で更新したいってずっと思ってる。