まくら

読んだ本や好きな文章の感想

腐っていく苺のショートケーキ 小川洋子「洋菓子屋の午後」

小川洋子の本がとても好きです。著作は全てではないですがいろいろ読んでて、短編の中で一番好きなのはこの「洋菓子屋の午後」。文庫本のページにしてわずか15ページ。短編小説って物足りなく感じることが多くてそこまで好んで読まないんですが、「洋菓子屋の午後」は何度読んでも良いです。切なくて悲しくて美しくて、世界は残酷だけれど生きてみようかなという気持ちになれる。

 

よく晴れた日曜の午後、女の人がショートケーキを買いに行くんですね。すばらしく天気がよくて、「隅から隅まで、どこを見回しても、この世に失われたものなど何もないのだ、という気がした」というくらい完璧な日曜日。

でもそこは小川洋子なので。失われたものが何もないはずはなく、こういう美しく光に満ちた世界の中で、残酷に壊れていくもの、失われていくものがあるんです。あ〜、小川洋子、大好き……

 

女の人は洋菓子屋を訪れますが、店員の姿が見えません。店内で待つことにした女性は、その間に現れた初老の女性と会話をします。

 

「苺のショートケーキがあって、よかったわ……」

 私はケースを指差した。

「しかもあれは、本物ですね。ゼリーや余計な果物や偽物の人形や、そんなもので飾り立てていない、クリームと苺だけの、本当のショートケーキ」

「ええ、そうですとも。私が保証します。店一番の自信作ですよ。なにせ生地に、うち特製のバニラを効かせてありますからね」

「息子に買ってやるんです。今日が誕生日なんです」

「まあ、そうですか。それはおめでたいじゃありませんか。で、息子さんはおいくつに?」

「六つです。ずっと六つです。彼は死んだんです」

 

あ〜〜〜……そうか……そうよね……小川洋子だからね………うん…大好き…………

 

こういう、静かで穏やかな文章の中で突然かなりキツめの喪失や残虐性が出てくるのが小川洋子節で……まあまあ猟奇的な展開のものもあり、何冊読んでも毎回ちょっとビクッとする。でもそういうところに惹きつけられます。

 

 

 十二年前、彼は冷蔵庫の中で死んだ。廃材置き場の、壊れた冷蔵庫の中で、窒息死していた。(中略)

 中は闇に満ちていた。なのに彼の首筋にだけ、淡い光が当たっていた。そのか細さ、肌の色合い、透明な産毛、何もかも見覚えがあった。

ともすれば劇的で血生臭くなってしまうかもしれない、息子の死体を見つける場面で、こうした描写を挿入できるということ。小川洋子の好きなところでもあるし優れているところだとも思います。

 

この流麗で繊細な文体で包むようにして描かれるから、どんなに残酷なはずの場面も美しくなって、温度のない透明な「悲しみ」だけが濾されて残る感じ。好きです……

 

 

 もう息子は生き返らないと分かってからもずっと、私は一緒に食べるはずだった苺のショートケーキをそのままにしておいた。毎日毎日、それが腐ってゆくさまだけを眺めて過ごした。まず最初に生クリームが変色し、脂が浮き出し、とろけて回りのセロファン紙を汚した。苺は干涸び、奇形児の頭のようになった。(中略)

「そんなもの、捨ててしまえ」

 夫が怒鳴った。

 子供が食べるはずだったケーキを、なぜそんなに口汚く罵れるのか理解できなかった。私はそれを、夫めがけて投げ付けた。髪に頬に首にワイシャツに、粉々になったケーキと黴が飛び散った。すさまじい悪臭が漂った。死んでゆくものの匂いをかいでしまった気がした。

いくら押しても叩いても開かないドア。どこにも届かない叫び声。暗闇、空腹、痛み。少しずつ襲いかかってくる息苦しさ。あの子が味わったのと同じ苦しみを、自分も味わうべきだと、ある日私は思った。そうしなければ、今の哀しみからは逃れられないのだと。

 まず家にある冷蔵庫の電源を切り、中の食料品を全部外へ出した。昨夜の残りのポテトサラダ、ハムの塊、卵、キャベツ、胡瓜、萎びたほうれん草、ヨーグルト、缶ビール、冷凍食品、氷、豚肉……。とにかく何もかも、手当たり次第に放り投げた。

 ケチャップがこぼれ、卵は割れ、アイスクリームは溶けてしまった。台所の床が目茶苦茶になってゆくにつれ、冷蔵庫は暗闇の正体を徐々に見せはじめた。私は息を一つ吐き、背中を小さく丸め、ゆっくりとその闇に身体を押し込めていった。

小川洋子作品に共通することとして、徹底して「食べ物」が何か汚いもの、グロテスクなもの、破滅の象徴として描かれるということがあります。妊娠カレンダーも、博士の愛した数式も、六角形の小部屋もそう。六角形の小部屋は中でもかなりあからさまにそれが出ていると思うんですが、昔に初めて読んだときは「……??」となりました。小川洋子のこの「食べ物」へのネガティブな感情を共有していないといまいち納得できないかもしれません。完璧な病室とかの初期の作品を読むと結構わかりやすくそれが説明されています。

小川洋子は「きれいに盛りつけられた料理」や「料理を作ること」への嫌悪感は多分そんなになさそう……だと思うんですが、「めちゃくちゃになった食べ物」「料理の残骸」みたいなものへの徹底した拒否の態度がすごい。特に脂っぽくてべたべたと汁が滴るようなもの……

「奇形児の頭のよう」な苺、シチューを食べる恋人の「舌が腐った血液色に染まっている」(「完璧な病室」)、「グラタンのホワイトソースって、内臓の消化液みたい」(「妊娠カレンダー」)……よくそんな表現思いつくなぁというのがたくさんあります。

私も昔から漠然と食べ物や食事という行為はは汚いものだという感覚があるのですが、小川洋子から影響を受けているのかもしれません。

 

 

さて、洋菓子屋で店の人を待っていた女性は、奥のキッチンにケーキ職人らしい少女がいたことに気づきます。少女は誰かと電話をしながら泣いていました。

 美しい泣き方だった。キッチンの雰囲気によく映える泣き方だった。声も物音もいっさい聞こえなかった。肩が震えるたび、うなじの後れ毛も微かに揺れた。視線を調理台の上に落とし、身体を心持ちオーブンの方にもたせ掛け、右手はナプキンを握ったままぴくりとも動かなかった。顔は見えなかったが、その代わりにあごのラインや、首筋の白さや、受話器を握る指の形に哀しみの表情が宿っていた。(中略)

いつまでもその姿を見つめていたいと思った。哀しみがどんなふうに訪れて、涙がどんなふうにこぼれるか、私はよく知っていた。

ああ〜……なんて優しい文章を書くのでしょう、小川洋子は。なんかもう内容というよりは文章それ自体の美しさ、優しさで泣いてしまう。本当にすごい。

 

なんというか、小川洋子の文章読んでると救われる。励まされるというのとはちょっと違う。現実につきまとう、いろんな形の悲しみや苦しみを、こんなに美しく「悲しみは悲しみのまま」書いてくれる。それだけで生きていけるような気分になる。

美しいんですよね、どこをとっても文章が……。清潔で、静謐。至るところに悲しみが転がっている世界を、こんなふうに優しく書いてくれて、優しい世界の見方を少しでも教えてくれてありがとう。そう感謝したくなります。こんなふうに痛みを抱えて生きている人は世界中のいろんなところにいるのだろう。悲しみ自体はなくなりはしないけど、そういった痛み悲しみも全部ひっくるめて世界にはまだこんな美しさがあるのだと思わせてくれる。救われる。

 

好きな作家を三人挙げるとしたら、そのうちの一人は必ず小川洋子です。中編〜長編で好きなのは、「博士の愛した数式」と「やさしい訴え」。大好き。この人生の中で小川洋子の作品に出会えてよかったと思います。

 

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)

  • 作者:小川 洋子
  • 発売日: 2003/03/01
  • メディア: 文庫