乙一の短編集『ZOO1』の中に「カザリとヨーコ」って話があるんですが、これがも~~どん底みたいに悲惨な境遇にいる中学生が主人公なのに、読んでると謎の元気が湧いてきて好きなんですよ。
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ママがわたしを殺すとしたらどのような方法で殺すだろうか。たとえばいつものようにかたいもので頭を殴るかもしれない。時々そうするように首をしめるかもしれない。それとも自殺にみせかけてマンションのベランダから落とすだろうか。
これが冒頭。これだけでもう「理解」できますよね、主人公の状況が。
乙一のこの異様に読みやすい文体にも注目してほしい。
わたしとカザリは一卵性の双子だ。カザリは美しくて活発で笑う時にはぱっと花がさくように笑った。学校で彼女はクラスメイトや先生からとても愛されていた。時々わたしに食べ残したごはんをくれるのでわたしも彼女が好きだった。
カザリとヨーコは一卵性の双子なんですが、カザリだけが母からかわいがられ、主人公のヨーコは壮絶な虐待を受けています。しかしヨーコは、「カザリの存在はわたしにとって心の支えだった」「カザリはみんなから愛されていてわたしはそんなカザリと血を分けた家族なんだという誇らしい気持ちがあった」と言う。ふつうならカザリのことを憎むと思いますが、ヨーコはそうじゃない。天使を仰ぐようにカザリのことを愛している。
ママとカザリは自分の部屋を持っている。わたしにはないので自分の持ち物は掃除機なんかといっしょに物置へ押し込めている。幸いにもわたしには所有物がほとんどなかったので生きるのに大きなスペースはいらなかった。(…)わたしにあるのはひしゃげたぺちゃんこの座布団だけである。それを台所にあるゴミ箱の横に置きその上でわたしは勉強をしたり空想をしたり鼻歌を歌ったりする。注意しなければいけないのは、ママやカザリの方をじろじろ見てはいけないということだ。もしも目があったりしたらママが包丁を投げつけてくる。座布団はまたわたしの大事な布団でもあった。この上で体を猫のように丸めて眠ると、なんと体が痛くないのである。
強調引用者。
この小説の特殊なところは、母親と目が合っただけで包丁を投げつけられるような生活を主人公が送っているのに、語り口がめちゃくちゃ明るいところです。こんな家の中にあって鼻歌を歌えるような人間ってどれだけいるだろうか。
ヨーコが受けてきた激しい虐待について語られている間も、ずっと文体が軽妙でユーモラス。じゃあヨーコはめちゃくちゃ鈍いのか、苦痛を感じていないのかというとそういうわけではなく、痛みも悲しみも感じている。
そのうえでのこの軽い語り口に、なんかすごく救われるんですよね。
引用はしませんが、だいぶ絶望的なのに「未来」を向いている終わり方もとても好き。
苦しい話を苦しく書いたものは世に腐るほどありますが、苦しいものを明るく書いた話って案外少ない。私だったら怒られないかとかいろいろ考えちゃって書けないようなことを書いてくれる小説が好きだ。
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乙一は叙述トリックをよく使う作家で、猟奇的な話、ミステリー、恋愛もの、いろんな話を書いている。かなり暴力的で残酷な話も多いんだが、描写の粘度が低いので不快感はなくさくさく読める。読後感も良い。そして陰キャの心理描写が上手い。
猟奇的な話が好きな人には『GOTH』、暴力的なのはそんなに好きじゃないという人には『失はれる物語 』とかがおすすめ。
道尾秀介(の『向日葵の咲かない夏』)が好きな人は『死にぞこないの青』とか好きかも。
『小生物語』というエッセイ(のような小説のような)も面白くて好き。ユーモアのセンスがある。
乙一は学生時代に読み漁った作家だが、乙一の別名義である中田永一(『くちびるに歌を』『百瀬、こっちを向いて。』『私は存在が空気』)、山白朝子(『私の頭が正常であったなら 』)の著作はまだ読んだことがない。読もう読もうと思っているうちにもうこんな年になった。そろそろ読みたい。