まくら

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赤ちゃんはいつから「ばぶ」と言うようになったか:『吾輩は猫である』より

赤ちゃんの喃語を「ばぶ」「ばぶばぶ」みたいに表記するのって結構最近(早くても戦後とか)のことかと思ってたんですけど、夏目漱石吾輩は猫である』(1905発表)読んでたら赤ちゃんが「ばぶ」と言うシーンがあって驚いた。

それで赤ちゃん言葉「ばぶ」はいつごろ発生したものなのか気になり、調べてみた。

 

 

吾輩は猫である』での用例

一番小さいのがバケツの中から濡れ雑巾を引きずり出してしきりに顔中撫で廻わしている。雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかも知れない。さすがに長女は長女だけに、姉をもって自ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出して「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返した。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々ご使用になるばかりだ。

(十、強調引用者)

青空文庫へのリンク→夏目漱石 吾輩は猫である

 

強調部分の書きぶりを見ると、「ばぶ」は漱石の造語……というか漱石の娘「坊やちゃん」が勝手に使っているオリジナルの言葉であるように思われる。つまりこの時代に「ばぶ」=「喃語を表した言葉」という等式が一般に受け入れられているようには思われない。あくまでここを読んだだけの印象ですが。

 

 

 

青空文庫全体での用例

で、次、青空文庫内の作品に出てくる言葉を調べられるデータベースAozorasearch 青空文庫全文検索で「ばぶ」の用例を調べてみた。

結果、ヒットしたのは漱石の『猫』以外だと山本周五郎柳橋物語』(1946発表)内に出てくる4例のみ。カタカナの「バブ」でも検索しましたがそっちは0件。

 

 ――三日の夜は幸太郎の寝つきが悪く、いくたびも乳をつよく吸っておせんを驚かした。十時ころにいちど用を達させ、それから少しうとうとしたと思うと、痛いほど激しくまた乳を吸われた。からだじゅうの神経がひきつるような感覚におそわれ、おせんは思わず声をあげて乳を離させた。
「いやよ幸ちゃん、吃驚するじゃないの、どうして今夜はそうおとなしくないの」
ああちゃん、ばぶばぶ、いやあよ
「なあに、なにがいやなの」(五)

「ほらじゃぶじゃぶ、おもちろいわねえ、じゃぶじゃぶ、みんなしてじゃぶじゃぶ、幸坊も大きくなったらじゃぶじゃぶねえ」
ああちゃん、ばぶばぶ、おもちよいね、はは
 子供は背中ではねた。笑いごえもたてた。しかし同時に震えていた。怖いのだ、怖いけれども自分でそれをまぎらわそうとしている、こんな幼い幸太郎が、……おせんはいじらしさに胸ぐるしくなり、いくら拭いても涙が出てきてしかたがなかった(五)

「さあたまたまのうまよ、おいちいのよ、幸坊、たくちゃん喰べてね」
「たまたまね、はは」子供は木の匙でお膳の上を叩き、えくぼをよらせてうれしそうに声をあげた、「――こうぼ、うまうまよ、ああちゃんいい子ね、たまたま、めっ」
「あら、たまたまいい子でちょ、幸坊においちいおいちいするんですもの、ああちゃん悪い子、ああちゃん、めっ」
ああちゃんいい子よ、ばぶ」子供はこわい顔をする、おせんはいつもいい子でないといけない、おせんが自分を叱ってみせたりすると子供は必ず怒る、「――ああちゃん、わるい子、ないよ、いやあよ、ああちゃんいい子よ」(七)

 おせんは走りだした。するとふいに子供の泣きごえが、聞えた、「ああちゃん」という声がはっきりとするどく、すぐ耳のそばで呼ぶかのように聞えた。子供の手がぎゅっと肩を掴む、子供は身をかたくして震えている。震えながら奇妙なこえで笑った。「はは、ばぶばぶね、ああちゃん、ははは」それは出水の中を逃げるあのときのことだ、恐ろしいということを感づいていながら、おせんの言葉に合わせてけなげに笑ってみせた。ああ、おせんは足が竦み、走れなくなって喘いだ。(七)

すべて強調引用者。青空文庫へのリンク→山本周五郎 柳橋物語

 

最初の例を見ると「ばぶばぶ、いやあよ」となっていて、『猫』の「いやーよ、ばぶ」と用法がよく似ている。このことから、山本周五郎漱石の例を踏まえて書いたのじゃないかな……という予想が立てられる。

 

 

 

ググった

漱石の例が初出なんじゃないか?といううっすらした予想を立てつつ、ググってみた。「赤ちゃん ばぶ 由来」「赤ちゃん ばぶ なぜ」とかでググると、次のyahoo知恵袋が上位にヒットする。

 

 

日本だと「だぁだぁ」と聞こえる喃語が最も多いそうですが、英語ですと「babble(泡=bubbleではありません)」と聞こえるそうで、これが日本語になる課程で重なって、「babble babble→バブバブ」になりました。「バブー」は「バブバブ」のバリエーションです。なお、赤ちゃんのことを「babe」というのもbabbleから来ています。

 

まさかの英語由来説。ただ、辞書などいろいろ引いてみましたがこの情報を裏付ける資料は見つけられず。そういう説もあるらしいということで頭に留めておく。

漱石は英語教師だったわけだしbabbleを意識して「ばぶ」を『猫』で使った可能性も無きにしも非ずだとは思いますが、わからん。

 

 

 

辞書を引いた

広辞苑、明鏡では立項なし。

デジタル大辞泉日本国語大辞典には立項あり。

 

デジタル大辞泉

ばぶう(読み)バブウ

[副]赤ん坊の発する声を表す語。ばぶばぶ。

※10年ぐらい前に買った手持ちの電子辞書に入ってる「デジタル大辞泉」には立項なし、コトバンク内のデジタル大辞泉には立項あり。最近追加された?

 

日本国語大辞典

ばぶ〔名〕九州で大人が子どもを制するときのことば。また、小児が怒るときに発する語。

ばぶ〔名〕[方言]餅をいう小児語。あんも。

 

ウーーーーン・・・・・・

この二つの辞書を見て思ったのは、大辞泉では「ばぶ」ではなく「ばぶう」になってること、日国では「小児が怒るときに発する語」という限定がなされていることから、なんとなく大辞泉「ばぶう」と日国「ばぶ」は語源を異にする語なんじゃなかろうかという気がする。

大辞泉「ばぶう」の項がここ10年ぐらいに追加されたものだとしたら、サザエさんに出てくるイクラちゃんの「バブー」とかを使ってる可能性もある(マジの憶測です)

一方で日国「ばぶ」は「怒るとき」っていう限定をわざわざしていることから、漱石『猫』の「いやーよ、ばぶ」の用例に基づいたものなんじゃなかろうか・・・・?

 

あと、日国の「九州で大人が子どもを制するときのことば」というのについては詳しいことをまだ調べられていない。ググってもそれらしい情報は見つからず。今度図書館行ったときに方言辞典を引く機会があれば調べてみます。

 

 

 

結論

わからん。説としては

漱石の造語

②英語

③方言

この3つを考えたけど、複数の要素が絡んでる可能性もあるし、まったく別の語源があるのかもしれない。

 

なお、

少納言 KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」

というデータベースでも「ばぶ」の用例を調べてみましたがヒットはほぼなし(2000年代初頭のブログにそれっぽいのが1件あったのみ)。とにかく用例をあまり見つけられなかった。ジャパンナレッジとかで調べた人いたら教えてください。