まくら

読んだ本や好きな文章の感想

憂鬱な香水に深く涵した剃刀 北原白秋「萩原朔太郎『月に吠える』序」

本が好きなので好きな本や好きな文章の感想を書きたい。本当は人と語り合いたいけど周辺で私の語りに付き合ってくれそうな人がいないので一人でブログに書くことにしました。

 

最初は萩原朔太郎「月に吠える」に寄せた、北原白秋の序文。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/859_21656.html

室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその予覚は常に来る可き悲劇に向て顫へてゐる。然しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふよりも、凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。

今回言及したいのは、この「憂鬱な香水に深く涵した剃刀」の部分ですね。

いや〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・天才か? これ以上に萩原朔太郎の詩を適切に表現した言葉あります??? 北原白秋の書いた文章はあんまり読んだことないけどこの序文読んだときは本当に頭いいんだなぁって思った(小並感)

まず「憂鬱な香水」て!!「憂鬱な香水」!寡聞なのでこういう語の組み合わせ方は初めて聞いたんですが、なんか“理解(わか)る”………まず語の響きがかっこよすぎ……そして萩原朔太郎(の詩)、確かに憂鬱な香水をまとっている印象。陰鬱で、病的で、淫靡で、湿った白いシーツが似合うような香りだと思います。

そしてその香水に深く浸した「剃刀」……これがまた萩原朔太郎の雰囲気に完璧に合致。同じ刃物でもナイフや包丁では全然違うんだよね、ナイフほど攻撃的ではない(きっとそれは「凶悪自身の為に使用される」)し、包丁ほど世俗的でもない。「剃刀」の、青ざめた顔で髭を剃るようなどことなく不健康なイメージ、そしてまさに「自分自身に向けらるる懺悔の刃」というような自傷のイメージが、やはり朔太郎の詩にぴったりだと思いました。

※実は私は朔太郎の詩をいっぱい読み込んだというわけでは全然ないので全く見当外れなこと書いてるかもしれません  だいたいのイメージでものを言ってるのでご了承ください

 

続き

 清純な凄さ、それは君の詩を読むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗さや頽廃した幻覚の魔睡は無い。宛然凉しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは真実である。そして其処には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に気の利いた探偵が走つたりする。

「君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く」の部分がなんか好き。「寂しい」って、確かにそれが彼の詩の根底に常に流れていそう。

私は彼の詩に対しては、ぬるついて陰鬱で青白くて……といったようなイメージが強いので「清楚で、透明で」というところはいまいちピンときませんでしたが。

あと「ぴちぴち」……ぴちぴちっていうと新鮮な魚のイメージしかわかないんだけど、この時代はもっと別の用法があったのかな……?

いや〜それにしても白秋の語彙……言葉の並べ方……どうしてそこにその言葉を、その順番で置けるんだ!?って思う。

やっぱり私が本読んでて「スゲェ〜〜〜〜〜〜!!!!!」って思うのは比喩の正確さ・的確さを感じたときですね。「憂鬱な香水に深く浸した剃刀」はかなり感動したので今日はそれを書きました。

 

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)