特殊性癖とマイノリティを描いた話ですね。
どうしたって議論になりやすいテーマだし、話題になってたのもむべなるかなという感じ。
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以下、ネタバレありありの既読者向け感想&批判です。
読んだ感想(感情)
全体としては面白かった。これは長文記事を書かざるをえまいというくらい読みながらいろんなことを考えさせられたので、そういう点で読む価値があった。
でも読んでる間じゅうずーーーーーーーっと違和感があった。モヤモヤする。
なんか、論が破綻してるような。私は小説はあんまり何も考えずに読むので論理的矛盾を突き付けるのとか苦手なんですけど(そもそも気づかない)、見逃しようがない違和感が最初から最後まであった。
それはあとで書いていきますが。
最初数ページでは、マイノリティの話か、と思い、
そのあとは「マイノリティであることに耐えられないマイノリティ」の話かと思い、
最後の方で、やっぱりマイノリティの話だったのかな。と思った。
なんていうか、一言で言うと、ジョン・ステュアート・ミルが『自由論』の中で述べた
「個人の自由は最大限尊重されるべきだが、他人に危害を与える場合のみ制限されうる」
↑これだけで済む話をずーーーーっと最後までこねくり回してるような印象。
それだけで済む話を済まさない、のが小説なのかもしれないが、最後の最後にもったいぶって持ってくるような結論ではなかったと思う。最序盤で言及してほしかった。
あと、私自身も特殊性癖持ちだと思ってるんですが。
「特殊性癖持ちの仲間」という気分で読んだら登場人物たちに全然共感できなかった。
「いや……いや……あなたがたは特殊性癖持ちの中ではかなり恵まれてるほうだと思うんですが………」にどうしてもなってしまった。
マイノリティがさらなるマイノリティを差別する、あなたよりもっと苦しんでる人がいるなんて言うのは不毛も不毛だとわかってるんですが、それでも突っ込みたくなってしまう。モヤつく。
女性の心理描写は女性作家が書いたのか?ってくらいリアリティがあったのに対して、性的少数者たちの心理にどうにもリアリティを感じられず、当事者が書いたんじゃないんだろうな。と感じた。
同じ性的少数者でも考え方は人それぞれと言われてしまえばそれまでなんですけどね。
それと、「多様性」って言葉が「マイノリティの中のマジョリティしか想定されてない」ってことで作中人物から批判されてたけど、私は多様性を尊重する今の風潮には賛成ですね。
「ごく少数のマジョリティ」(矛盾)しか想定されていない世の中ってのは私みたいな人間には非常に生きづらいので。単純な思想だけど、いろんな人間がいる、って考えが広まっていくのはいいことだと思う。
異性愛の形に収まっていたのがなんとなく残念
特殊性癖持ちの二人、夏月と佳道が結婚するよね、恋愛感情なしで。
異性愛者がマジョリティになっている世間になじむための策略なんだから、結婚、っていうのは納得できるし自然な展開だと思うんだけど。
なんかなあ。結婚しない(できない)性的少数者が、作中の人物でも現実世界の読者でも、「特殊性癖だけど結婚してます」っていう二人を見たら「いやお前ら結婚してんじゃねーか。」になるんじゃないかと思うんだよね。「おれたちの仲間を名乗るな」と。あそこでちょっと共感性が減っちゃった気がする。
世間からのはじかれ者同士が、この苦しい世を生き抜くために恋愛感情なしで結婚する、って私が好きなシチュエーションなはずなんですが、なぜか全然萌えられなかった。
好きな記述
体内に築かれた宗教が重なる誰かと出会ったとき、人は、その誰かの生存を祈る。それは、生きていてほしいという思いを飛び越えたところにある、その人が自殺を選ぶような世界では困る、という自己都合だ。
体内の宗教が同じ人の死は、当人の死のみに収束しない。その死は、同じ宗教の他者を殺すことでもある。翻って、宗教が同じ人が心身共に健康で生きているというだけで、手放しそうになる明日を手繰り寄せられるときがある。(pp.305-306)
「その人が自殺を選ぶような世界では困る」。この考えは新鮮だった。宗教が拡大していく理由っていろいろあると思うけど、こういう理由もあるのかもしれないと思った。
ここから批判。お手柔らかに頼む
議論になりやすすぎる内容だからあんまり突っ込んだこと書くのにビビってるが、書く。
性癖とか遍歴とか健康状態とかがマイノリティな人間が、いち多重マイノリティ(だと思ってる)の立場としてこれを読んだ意見です。
登場人物たちの思想の抜粋
批判に先立って、登場人物の思想がよく表れている言葉を一部引用する。以下、引用文のページ番号は新潮文庫版のもの。強調は引用者。
「水」に性的に興奮する主要登場人物は3人。佐々木佳道、桐生夏月、諸橋大也。
今回いろいろ突っ込みたいのは主に彼らの思想なので、彼らの発言を中心に引用する。
「→」で示したのはこの記事内で言及している項目。タップしてもジャンプはしません。
●佐々木佳道
多様性、という言葉が生んだもののの一つに、おめでたさ、があると感じています。(略)これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる"自分と違う"にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。(pp.8-9)
→「理解しがたい」と「気持ち悪い」の混同
お互いに、今の自分が最も興奮する種類の水の動画を求めて、両手を忙しく動かし続けた。(略)こういうことを思う存分試せる環境があればいいのにと感じるたび、佳道は様々な特殊性癖の当事者たちを思った。そして、こうして実践できるフェチに生まれただけ自分たちはまだマシなのかもしれない、と、なけなしの幸運を握り締めた。(pp.366-367)
→特殊性癖の中ではかなり恵まれたほうでは
生きていくために備わった欲求が世界のほうから肯定される。性欲を抱く対象との恋愛が街じゅうから推奨され、性欲を抱く対象との結婚、そして生殖が宇宙から祝福される。そんな景色の中を生きていたら、自分はどんな人格で、どんな人生だったのだろうか。(p.371)
最後の砦だと思っていたものが社会から”性的なもの”と判断され取り払われ、だけどそのあとも独りで生き続けなければならなかったら。(p.375)
→性の「規制」に関して
●桐生夏月
どんな秘密や悩みを差し出されても自分が隠していることに比べれば、片手で摘める花のようにしか感じられなかった。
むしろ、そんなことを秘密だ悩みだと大切に抱えていられる世界に生きる人を、あまりに恨めしく、憎らしく感じてしまうのだ。(p.191)
たった一つのことを隠しているだけなのに、その一点が人生のすべてと繋がっているから、誰とも対話ができなくなる。会話はできても、対話ができなくなってしまう。(p.193)
→「友人関係」じゃだめなのか
性的対象は、ただそれだけの話ではない。根だ。思考の根、哲学の根、人間関係の根、世界の見つめ方の根。遡れば、生涯の全ての源にある。(略)
他者が登場しない人生は、自分が生きていくためだけに生きていく時間は、本当に虚しい。その漆黒の虚しさを、誰かにわかってもらおうなんて思わない。だけど目に映る全員に説いて回りたい。私はあんたが想像もできないような人生を歩んでるんだって叫び散らして、安易に手を差し伸べてきた人間から順に殺してやりたい。(p.246)
→なぜ「水」なのか・「友人関係」じゃだめなのか
「これからもっと規制が広がって、街のどこ探しても自分にとってのコンドームもラブホテルも何もない世界を歩き続けるしかなくなったら」(略)「私、危なかったと思う」(p.374)
→性の「規制」に関して
●諸橋大也
大也はそれまでずっと、周りの同級生たちは、自分が水を好きだなんて全く想像しないだろうと思っていた。そんなことを知られたら、生理的かつ決定的な嫌悪感を抱かれることを確信していた。だから、そんな自分ですらこれまで全く想像してこなかった性的指向がこの世に存在することに、自分でも驚くほど安心していた。それどころか、我ながら気持ち悪くて仕方がない存在であるこの自分が生理的な嫌悪感により目を逸らしたくなるような性的指向が存在することに、深く豊かな呼吸を授けてもらえた気がした。(p.327)
世間が判断する”性的なもの”が、いかに限定的で画一的か。(p.335)
お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。(p.395)
「俺はゲイじゃない。お前らみたいな、私は理解者って顔してる奴が想像すらしないような人間だよ。俺と同じ性的指向の人は、性欲を満たそうとして逮捕された。窃盗と建造物侵入容疑で」(p.445)
→性の「規制」に関して
特殊性癖持ち3人の思想はどれも似通っている印象。少なくとも、作者がこの3人の思想を差別化して書いているようには見えなかった。詳しく見れば違うのかもしれないけど。
彼らは特殊性癖をひた隠しにしてきたから、彼ら自身が実際に誰かから気持ち悪がられた経験があるわけじゃない。
「排斥されること」よりは、「マジョリティの想像の埒外にあること」に苦しんでいるように見える。
細かいことは後で突っ込んでいく。
あと、神戸八重子。彼女は異性愛者で、性的なトラウマから男性の性的な目線が恐い。
●神戸八重子
「それに、なんだっけ、窃盗と建造物侵入だっけ、そんなの誰でもしちゃダメじゃん。勝手に何か盗ったんでしょ? 入っちゃいけないところ入ったんでしょ? そんなのどんな立場の人だってやったらダメじゃん」
(略)
「不幸だからって何してもいいわけじゃないよ。同意がなかったらキスだってセックスだって犯罪だもん。別にあんたたちだけが特別不自由なわけじゃないよ」(p.451)
「それな」すぎる。最終盤でやっと言ってくれる。10ページ目くらいで特殊性癖持ちの誰かがこう言ってくれていればもうちょっとモヤつき少なく読めたのだが。
なぜ「水」なのか
読んでいる間中、最大の謎だった。
水。水かあ。水に性的興奮する、人に性的興奮できない、それで
私はあんたが想像もできないような人生を歩んでるんだって叫び散らして、安易に手を差し伸べてきた人間から順に殺してやりたい。
ここまで言うかな?
序盤読んでいて、特殊性癖持ち3人がここまでマジョリティを憎み、強烈な疎外感を抱き、人生に絶望しているのなら、きっととんでもない性癖なんだろう。と思っていたから拍子抜けした。
そこまで言うくらいなら、世の中の人間のほとんどから強烈に憎まれる、生理的嫌悪感を抱かれるような性癖じゃないと違和感がある。例えば死姦、拷問、乳幼児や小動物への暴力行為など。
しかし、水である。
暴力的な趣味にすると読者からも拒否反応を起こされるだろう、読者からは共感をもって読んでほしい、と作者もしくは編集者が考えた結果「水」になったのかなあ、というのが私の感想。
でも私としてはどうも「逃げ」という印象を受ける。これだけがっつり「性的少数者」というテーマに向き合うなら、徹底的にやってほしかった。
(全然違う性癖である)小児性愛者と勘違いさせる、という展開が必要だったなら、人間の肉体の一部に興奮する、切り取られている方がいいが生きている人間でもいい、とかどうにでもやりようあったと思うけどね。やっぱり広い読者から受け入れられるために無理に「水」にしたという印象がぬぐえない。
特殊性癖の中ではかなり恵まれたほうでは
「こうして実践できるフェチに生まれただけ自分たちはまだマシなのかもしれない」という言葉が作中にあるが、マジで「それな」である。
だって水を扱うこと自体では罪にならない。素材が豊富にあるから実行に移すのも容易。探せば動画も大量にあるだろう。いったい何をそんなに悲観しているのか?
私の数ある趣味の中のひとつ「自分にとってものすごく大切な人間を自分のせいで死なせてしまう展開(欲を言えばその後自殺)」なんてマジでねえからな。大量の物語を漁り読みやっと見つけた2,3のドンピシャ物語を繰り返し読むか、自分の妄想を自分で形にするしかないんですからねほんと。
一応、そういう記述も作中にあるんですが。↓は諸橋大也の記述。
現実世界で自分好みの素材が生まれることはない・生まれてはならないことを重々承知している当事者たちは、同じ界隈の人々に向けて自作のイラストや文章等を発信し、素材の自給自足に励んでいた。(pp.327-328)
うーん、「これ」を知っているのに、そのうえでどうしてそんなに孤独を保ち続けられるのか。「水」仲間が少ないからか?
なんかこういう、作者の「こういうことも把握したうえで書いてますよ」という記述が散見されたけど、作者のエクスキューズに見えるというか、釈然としない。
「理解しがたい」と「気持ち悪い」の混同
あと、佐々木佳道の言葉
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。
これに違和感。作中ずっと、「理解しがたい」と「気持ち悪い」がいっしょくたにされている気がする。
「理解できない」かつ「気持ち悪くない」もの、「理解できる」かつ「気持ち悪い」ものだってあるだろう。そして前者が「水」であり、後者が小児性愛や死姦等だと思っている。
もちろん水はかなり想像しづらい趣味で、気持ち悪がる人もいるだろうけど、小児性愛などと比べれば人々が抱く「嫌悪感」は少ないと思う。だって水を性的に見ることによって人が傷つけられたり損害を受けたりすることはない(だろう)から。
どうしても比較の話をしてしまう。しかしそもそも作中の登場人物がマジョリティやマイノリティの中のマジョリティと比べて「あいつらはいいよな、それに比べて自分は不幸だ」という話をしているので、こちらもつい比べてものを言ってしまう。
3人は「マジョリティから想像もされないこと」にすごく苦しんでいるようだったけど、苦しむのって「想像されない」ときよりも「憎まれる」ときなんじゃないかなあ……と思う。
いろんな人と話をしたり、本を読んだりテレビを見たりして、自分には想像もつかないような思想や経験を持っている人は山ほどいるって20歳超えてたらさすがにわかるんじゃないかと思うんだが。「いろんな人がいるんだな」「一人ひとり特殊な思考(人生)を持っているんだ」という考えには至らなかったのか。
差異性に鈍感な人がいるにしても、そういう人って多くの属性でマジョリティに属する人間、強い立場に立ってきた人間なんじゃないかな。マイノリティを自覚しているなら、ほかのマイノリティの存在にも敏感であってほしい。
「友人関係」じゃだめなのか
これも疑問。なぜそんなに孤独であろうとするのか。性欲以外の部分で他者との共通点を見つけて友達を作ることはできなかったか? 食欲とか、睡眠欲とか、物欲とか、「水」以外にも関心のあることはあっただろうに。
読む限り、夏月と佳道は友人がおそらく全然おらず、大也はダンスサークルに入ってるけど他のメンバーの性欲の話についていけなくて足が遠のいている。
たった一つのことを隠しているだけなのに、その一点が人生のすべてと繋がっているから、誰とも対話ができなくなる。会話はできても、対話ができなくなってしまう。
↑例えば夏月はこんなふうに言っていますね。
まあ、そういうこともあるかなあ、と思うけど、やっぱり不自然に感じる。性的指向が違うというその一点だけでこうまでも人を遠ざけるものか?
これに対する回答のようなものが書かれてはいるが。
性的対象は、ただそれだけの話ではない。根だ。思考の根、哲学の根、人間関係の根、世界の見つめ方の根。遡れば、生涯の全ての源にある。
じゃあ、性欲を持たない人はどうなるんだ、と言いたくなる。
上記引用みたいな考えもあるかもしれないけど……うーん……これも、特殊性癖もち3人が過剰なくらいに他者との関わりを拒んでいることに対してのエクスキューズ的記述に見えるんだよね。作品全体で整合性を持たせるために入れました感。
性の「規制」に関して
作中、小学生ユーチューバーの動画についたコメントが原因で動画が規制される、という展開がある。その動画では、男子小学生に対して、「水遊びしてください」とか「電気あんましてください」とかいったリクエストがたくさんついていた。特殊性癖もち3人はこの動画を性的な目で見ていた。
性欲処理に使っていた動画が見られなくなったことに対して、
最後の砦だと思っていたものが社会から”性的なもの”と判断され取り払われ、だけどそのあとも独りで生き続けなければならなかったら。
当然だけど、このように規制を嘆く発言がある。
うまくまとめられないんだが、この「規制」に関する特殊性癖もち3人の考えがどうも破綻しているように感じられて仕方ない。
①まず、
「俺はゲイじゃない。お前らみたいな、私は理解者って顔してる奴が想像すらしないような人間だよ。俺と同じ性的指向の人は、性欲を満たそうとして逮捕された。窃盗と建造物侵入容疑で」
このように、「自分の性欲が性欲として社会の人に認識されていない」ことを嘆くような発言がたびたび出てくる。
でも、自分が性的に見てたものが規制されるのであれば、それは「性欲」として認識されたってことじゃないのか。性欲として広く認知されたいけど、規制はされたくないということなのか? ここ非常にモヤモヤした。
②以下、夏月の発言。
「水の動画を撮りやすいスポットが街のいろんなところにあるなんて、そんなのありえないじゃん」(p.370)
「でも、コンドームはどこのコンビニにも売ってるし、ラブホテルもそこらじゅうにある。そういう欲求があることを、みんなは、街じゅうから認めてもらえてる」(p.370)
「そんな人生、羨ましいなって」(p.371)
「最近、自分って社会の大半が規制すべきだって言ってるものに生かされてるんだよなーとか思って、ちょっと気分が落ちてたのね」(p.374)
ここを読むと、まるで人間の男女による異性愛は世間から推奨されている(規制されない)けど、自分たちのような特殊性癖は規制されている、という印象を受けるが、実際はむしろ逆だろうと思う。
「水」自体が性的なものとして規制されることってかなりありえないだろうし、まっさきに規制されるのは露骨に性的なもの、人間の裸体とか性行為とかに関するものだろう。
どうも「規制」と「存在の認識」に関わる論が登場人物たちの中でぐっちゃぐっちゃになっていると感じる。
当事者が書いたわけじゃないんだろうな
読んでいるあいだ感じていたこと。なんか、特殊性癖の人間はこう思うだろうから、こういう展開にしよう、っていう理屈が先行している感じがした。そのわりに理屈が矛盾しているような記述が多かったけど。
私が特殊性癖人間当事者として「そんなことある…?」って思ったのが、以下の箇所。
大也は、【古波瀬】とのやりとりで初めて、“下ネタで盛り上がる”という現象を体験した。話してみると、確かに【古波瀬】は水そのものというより、水に濡れた衣服や人間のほうに強い興味があるようだったが、そんな違いがあるからこそ、まるで同級生たちが胸より尻が好きだとか裸足に一番興奮するだとか言うように盛り上がることができた。(p.330)
「水そのもの」と「水に濡れた衣服や人間」ってかなり大きな違いだと思うんですが、盛り上がれるのかな、それだけ趣味が違ってて。たとえば私は人間の暴力的シーンが好きだけど、武器はダメで素手である必要があるとか、いじめは不可で殴り合う人間の間に何かしらの精神的紐帯がないとダメとか、かなり細かいこだわりがある。だからこの記述読んだときは「ほんまかいな」になった。
マジョリティの人間が読んだら新鮮な考えがたくさんあって「刺さる」のかもしれないが、特殊性癖を自覚している人間が読んだらウーン…となりそうな本だな、と思った。
あと、この記事書いてるときに調べものしてたらちょうどこの本とかなり絡めて議論できそうな事件を見つけた。なお、事件発生は『正欲』刊行直後なので、この事件を受けて『正欲』が書かれたわけではない。
朝日新聞の記事
https://www.asahi.com/articles/ASR233RHGR22UTIL035.html
遺体に対する性的行為が行われた事件である。
この加害者は遺体に対する行為ではなく、「正当な理由なく安置室などに立ち入った建造物侵入」の罪で起訴されている。まさに、性欲による行為が性欲と関係のない罪で裁かれている。
ただこれと絡めて話をするともう収集がつかなくなると思ったので、この事件の事は考えずに今回の記事を書きました。この本を読んだ人たちで議論する機会があればこの事件も取り上げて考えてみたい。