まくら

読んだ本や好きな文章の感想

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』読んだ

めちゃくちゃよかった。少なくとも2021年に読んだ小説の中で一番よかった。

 

 

なんていうか……「人間の人生」が爆発していた。文字で世界を揺らしていた。帯で又吉直樹が「物語が爆音で響いていました」と言ってたけどほんとそれ。

「世界の縮図」というよりは、世界のある隅っこの一部分をそのまんまの形で切り出したのを皿の上に載せて出されたような感じ。でもその世界の一部は皿の上に収まらなくてどろどろした汁だか粘液だかが皿からあふれて机の上から床の上に垂れ流れてて、それが自分の足元まで迫ってくる。その迫ってくるスピードがすごく早くて気づいたら頭から体まで飲み込まれてる。そんな本だった。

 

とにかく「パワー」があった……マジで……圧倒的パワー、質量、何かデッケェ「うねり」みたいなものがあった。読んでる間ずっと脳みそつかまれて問答無用でガンガン揺さぶられてるような感覚。

 

 

でも具体的にどこの描写がどうよかったのかと聞かれると難しい。全部よかった。全部合わせて『コインロッカー・ベイビーズ』って作品だった。でも強いて好きな記述を挙げるとしたらまずはハシのコンサートツアーのところ。

 

 昔、魔女裁判での拷問の一つに耳の穴から溶かした山羊の脂肉を注ぎ込むというのがあったそうだ、ハシの歌とバックの演奏は聴衆をそれに似た気分に追い込んでいく、リズム隊の疾走、ギターと電気サキソフォンの唸りをあげるユニゾンの間で、バンドネオンが吐気がするほどに哀調のある我々の最も恥ずかしい神経を舐め上げる旋律を奏でる、それは鉄の玉とダイナマイトと鋲打ち機で解体される高層ビルディングと猛スピードで車が行き交う立体交叉の高速道路とに挟まれた細い道を、路地を、一人の老人に連れられた少年の乞食が帽子を差し出しながら歌って歩く光景を思い起こさせる、ハシは常にそのようにして歌い始める。

 

これ、これで一文なんですよ。疾走感やばくないですか?どんどん読点で畳みかけるようにつながれて、何がどうなっちゃうんだ?って思ってるうちにこの比喩の荒波に飲み込まれる。

この村上龍の汚い比喩をすっかり好きになってしまった……「こんな悪趣味なロック公演は初めてだ、家族の誰かが死んだ通夜の席で悪酔いしわけがわからないうちにはしゃぎ回り、そのあとで死ぬほどの自己嫌悪に陥るのに似ている」とか「挑発的な尻の隙間から熱い汁を垂らした女が日当たりのいい部屋でタイプライターを打ってるのを、縛られたまま眺めている気分になる」とかさ……なんなんだ?この語彙と発想は……私の中で比喩と言えば村上春樹なんですが、そのスマートでソフィスティケートされた比喩とは全然違う、暴力的で粘々してて、切り開いたばかりの腹の中から見える内臓みたいな比喩が……私は好きだ……

 

 

14章、小笠原諸島カラギ島のダチュラの話もよかった。めちゃくちゃ引き込まれた。

具体性って大事ですね、人名地名年齢西暦インタビュー形式で語られる体験談、実際にこういうことがあったのかもしれないと思わせられる。薬島もそうだった。こういう『ムー』に載ってそうな怪しげな体験談、好きです。

 

 

あと私がすごく感動したのが、ハシと、ミルクという名前の飼い犬が再会するシーン。

で、再会する前の、桑山の家に行くときの描写ですよ。

 

いつも金柑の木を過ぎて、ミルク! と呼ぶと坂道の突き当たりから白い毛をなびかして犬が走ってきたのだった。ハシは同じ場所に立って何度も呼んだ。ミルクは駆けて来ない。繋がれているのかも知れない、と思った。しかし繋がれていても吠えるはずだ、ハシは不安になって坂道を最後まで上がった。

 桑山のプレス機の音が聞こえなかった。庭は瓦礫と草に被われて、ミルクはどこにもいなかった。キクと二人で作った犬小屋は板が腐って蟻が巣くっている。水入れの皿が泥塗れで横に転がっている。

 

ここ読んだとき完全に「あっ……(察し)」となりました。もうミルク絶対死んでるじゃん。もしくは絶対ミルクの母親みたいになってるじゃん。「片足を引き摺り美しかった毛も抜けていた」、「目は濁って涎を垂らし続けた」あの母犬みたいに。

それでこのへん読み進めるの大分嫌だった……冷たくなったミルクや皮膚病になって薄汚れたミルクを見たくなくて……子犬のころから飼い始めて十五の夏には毎日一緒に海に行った白い犬、永遠に幸福の象徴であってくれ!と祈った。

 

だからハシとミルクが再会するシーンはメチャクチャ感動しました。

 

 遠くで犬が吠えた。ハシは叫びながら起き上がった。ミルク! ミルク! 彼方の防波堤の上に白い点が現れた。ミルク! ここだ! ハシは走り出した。濡れた岩で滑り転びそうになった。ミルクは背の低い男に鎖で繋がれていた。鎖をピンと張り後ろ足だけで立ち上がって吠え続けている。背の低い男が鎖を外した。白く長い毛をなびかせてミルクは一直線に駆け出した。防波堤から岩場に飛び降り、波飛沫を避けて恐ろしい勢いで近づいてくる。美しい白い毛が夕日を透かして輝く。ハシは両手を拡げてミルクを迎える。そうだ、何一つ変わっていない。

 

ここを読んだとき確信しましたね、コインロッカー・ベイビーズは傑作だって……。腐臭、ぶよぶよした肉体、死骸、吐瀉物ばかりで構成されているんじゃないんですよ、この世界は。昔から何一つ変わらない美しいものがあるんです。

多分これまでに何度も書いたけど、こういう「世界の汚さと美しさが両立している作品」が好きで……本当に好きで……世の中のたいていの作品がそうなのかもしれないけど。

 

あと、この本の他の箇所では汚いもの生々しいものが筆を尽くして長々と描写されている印象だったけど、ここでは「美しい白い毛が夕日を透かして輝く」これだけ。これだけでいいんですよ。これで全部わかる。

ミルクに会うまでに語られた桑山の老いと病、真暗で酒と排泄物の混じった匂いがする家、人間の顔をした蠅、そういう暗くてぐちゃぐちゃの世界から急にこれ。これまでの流れがあるからこの防波堤でのミルクとの再会が本当に美しく輝く……こういう作品があるからクソみたいな世界でも生きていこうって思えるよ………ありがとう………ありがとう…………

 

 

 

ところでこの本、これだけ「好きぃ……」って言っておいて、読み終わっても自分が何を読んだのかわからなかったんですよね。

いや、これはほぼ私の読解力の問題だと思うんですが、一回読んだだけでは「何かすごいパワーでぶん殴られたけど一体何に殴られたのかわからない」って感じです。一体何だったんだ…?アネモネの尖った乳…鰐の国…母親の心臓の音…盲導犬ダチュラダチュラダチュラ!!

 

でもこのわからなさがまた「良い」。まだまだこの本から感じられるもの読み取れるものがあるんだとワクワクする。ほかの作家の名前を出しますが、私が人生を生きていって最終的に行き着くのって新井英樹村上龍みたいな人の作品なのかもしれない。とこの本を読んで感じました。

 

 

村上龍、私は『限りなく透明に近いブルー』の汚さがかなりキツくて苦手意識持ってたんですが、『コインロッカー・ベイビーズ』は程よい汚さだったので私は大丈夫でした。これでも露悪的でキツいって思う人は思うかもしれませんが……『限りなく』読んで村上龍はちょっと…って思ってた人もこれなら読める……かも!?もし興味あったら読んでね!!!!!!!